んなふうに感じている方へ

学校にいけないことが心配

進路先が気にかかる

社会性がないんじゃないか

親戚や周りがうるさい

暴れる。こんな子に育てた責任を感じる

親の会は傷のなめ合いだ。何も問題は解決しない

義務教育なのだから行くのは当たり前だ

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学校にいけないことが心配

 学校に「いけない」ことが心配という時、行かないことの何が心配なのかよく見極めてください。
 学校に行っていないことで、家族や先生であるあなたにとって問題が起きているのか、それとも行かない本人にとって問題があるのか。両方だと感じているかもしれませんが、両方なら、両方にとってそれぞれどんな「具体的な問題」があるのかを少し整理してみてはどうでしょうか。

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進路先が気にかかる 勉強ができなくなる

勉強
 学校に行っていないことで、「学力」がつかないという心配はもっともです。
 あなたの考えている「学力がない」とはどんなものですか?方程式が解けないことですか?古代ヒッタイトの王の名前を知らないことですか?それとも、バスケットボールでドリブルやピボットができないことですか?
 学力は、それができたりわかったりすることが、自分の生きていく上で役に立つ力や自信につながるから価値があるのだと思います。自分も我慢して勉強してきたから勉強しなさいという声がありますが、我慢しても勉強する価値がある(周りの人がしているからなどの消極的な理由も含めて)と感じていたり、我慢できる範囲だったりしたからできるのだと思います。学校に行くこと自体が苦しい子どもにとって、勉強のことは気にかかりこそすれ、それがまず第一のがんばるべき問題でしょうか?それに向かおうという意欲がフツフツと沸いてくるものでしょうか?
 「勉強ができないから心配」なのは、子どもではなく、周りの大人の心配なのではないでしょうか。「勉強」にそれほど価値があると思って学生時代勉強していましたか?どちらかといえば、「もっと勉強していれば良かった」という反省が、「あなた」の中にあるから、そういう思いを子どもに対して押し付けているのではないですか?
 本人がそのことをいちばん気にやんでいるかどうか教えてもらってはどうでしょう。

進路
 あなたの考える進路とはどんなものですか?一般的には多くの人が「中学」卒業後すぐに⇒「全日制高校」卒業後すぐに⇒「大学・専門学校・就職」という道を歩みます。多いと言うことは、安全・安心に感じるかもしれませんが、ほんとうに安全・安心のチェックがされているわけではありません。
 「高校に入れてもらえないんじゃないか」という心配は、めぐりめぐって上の「勉強」につながっているかもしれません。「高校」とはどこを指していますか?進学校ですか?なぜそこが良いのですか?そこがいいと考えているのは、大人である「あなた」の考えではないのですか?
 子どもにとって、「進路」はその字の通り、生き抜いていくために進んでいく道です。「その子」にとって必要な道を進むわけです。
 「その子にとって必要なこと」は人によって違います。特に学校に行けない、学校が合わない人にとって、必要なことが「中学校の延長のような生活で、さらに難しい勉強をすること」だと本気で考えていますか?そういうパターンの進路しか知らない不安が、それをあなたに言わせているのかもしれません。
 「みんなと一緒に同じような時期に同じような場にいさせたい」と思う気持ちがあるかもしれません。それは、子どもを思うからこそでてくる気持ちだと思います。それは「その子」自身が感じている心配ですか?周りの大人の心配ではないですか?
 みんなと同じような時期に同じような場で勉強しなかった人たちがいます。70歳を超えて通信制や定時制で学んでいる人をあなたは「レールから外れただめな人だ」と考えていますか?昼間働いて学ぶことを選んだ人の生き方は「間違い」ですか?学校の先生にも、会社づとめの経験を持っていたり、浪人したり、留年したり、臨時講師を長くしたりと言う「ちょっと違った経験」をもっている人がいます。その人たちは、ストレートに軌道に乗って先生になった人に比べて、劣っていると感じていますか?
 「そういう生き方をすると苦労をする」と取り越してしまう人もいますが、受験競争を潜り抜けたり、「良い会社」に入った人は苦労をしないのでしょうか?
 生きている限り苦労は付いてくるでしょう。どの苦労を選ぶかは、本人が本人の責任で選ぶものではないでしょうか?どの苦労を選ぶかを回りの大人が決めて、苦労そのものだけは本人にさせるということがよいことでしょうか。あなた自身は、人が決めた苦労を自分のものとしてがんばって生きていますか?あなた自身が「これはがんばるべきだ」と自分が考えてがんばっていることのほうが多くはないですか?
 日本の大学生は勉強しないといわれます。遊び呆けている人たちがたくさんいます。今の受験システムの被害者の姿として、無駄だ・ダメだとは言いませんが、あの姿が本当にすばらしいと思いますか?
 不登校をきちんと考える高校も増えています。不登校だったということを理由に落とさない意思を表明している学校もいくつもあります。もしそういうところではダメだと感じているのなら、なぜダメだと感じているのか、あなた自身の問題を突き詰めて考えたほうが良いかもしれません。

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社会性がないんじゃないか

 学校に行かないと社会性が育たないんじゃないかという心配があります。
 社会とは何をさしているまでしょう。社会性とは何でしょう。
 社会は、身の回りの人たちに始まり、もっと大きく自治体や国でもあります。私たちが日常生活を送る上で、私たちの心に直接的に影響するのは、さしずめ身の回りの人たちです。そのもっとも小さな単位が家族でしょう。
 社会性とは何でしょう。雑ぱくに言えば、関係が破綻しないように、上手に相手も自分も無理のないように調整する力でしょう。一方的に片方の言うことだけが通り、片方が尊重されないのは、いじめに見るように、まともな人間関係ではありません。学校に行っていじめをしている子は、学校に行っていない子より社会性があると思いますか?どちらが人間集団にとって、よりましな対応をしているでしょう。
 確かに、学校に行っていないと付き合う範囲が少なくなります。多くの人たちに囲まれる経験は経るでしょう。でも、私たちは物理的に多くの人に囲まれているから、それがそのまま人と信頼関係を結んだり協調できたりしていると言うことになっているでしょうか。あなた自身も、周りの人たちに対して、付き合い方のレベルを決めていませんか?相手がそのレベルを踏み越えてあなたに迫って危害を加えてきたら、あなたは相手の要求どおりに付き合うことをもって自分の社会性だと思いますか?殴る相手に、白眼視する相手に、殴られ白眼視される状態に甘んじることが社会性だと思いますか?
 先に家族が社会であると書きました。家族は、「人間って信頼できるな」という感覚を育てる苗床です。子どもが赤ん坊のとき、お腹がすいたら泣けば誰かが飛んでくる。おしりが気持ち悪ければ泣けば手当てをしてくれる。そういう状態の中で、「自分は大切にされる。自分は生きていてもいい。」という基本的な人に対する信頼を作っていきます。もちろん家族も集団ですから、集団のルールを子どもも次第に覚えてもらわなければなりません。子どもが小さい時期には、大人の価値観を子どもはどんどん取り込みます。その「社会性」の伸びは、大人の力など到底及びもつきません。大人が口で言っていることと行動していることが一致していると感じられる環境では、子どもはほんとうにすばらしく「社会性」を育てていきます。
 ですが、「しつけ」と称して、頭ごなしに子どもの意見をつぶしたり、怒鳴りつけたり、時には体罰で言うことを聞かせることを子育てだと勘違いしている人たちも多くいるでしょう。多くの子どもは、10歳頃には大人とほぼ同じ程度の、理解力と心の動きを獲得しています。そういう人間を相手に、一人の人間として意見を聞き、話し合うと言う接し方ではなく、一方的に命令がされ、意見がつぶされる状態がある。反対に、子どもの言うことがすべて家族の犠牲の上にまかり通っていく状態がある。これは、その家の社会性のあり方自体が問題ではないでしょうか。「理不尽も受け入れなければいけない」「理不尽でも俺の言うことは聞くべきだ」というメッセージが、子どもにはどんどん伝わるのではないでしょうか。
 子どもが自分の意見を表明できない家庭、しても納得のいく説明がなされない状態は、どこかの政府と同じで、「お前の主張は取るに足らないから言ってもしょうがない」という価値観を刷り込んでいるとはいえないでしょうか。
 社会性を心配する家族や親が、家の中に人が大切にされる社会を作ることが先でしょう。
 どんな風に子どもと付き合っていくか。自分の経験を元に自分の頭だけで考えるのは、大変です。自分が悪いんだと逆に親が自分の責任を感じて、かえって身動きが取れなくなることもあります。
 問題に気づいたあなたは、一人で悩まないで、ぜひ親の会などで、血の通った、生きた情報を得てください。必要なときに、必要な相手に助けを求める力は、立派な社会性です。

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親戚や周りがうるさい

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暴れる。こんな子に育てた責任を感じる。

 日本の社会には伝統的に「子どもは親の所有物」というような感覚があります。西洋諸国に比べ、日本では親が子どもを殺す事件がその逆に比べて多いのです。そこまでいかなくても、子どもに問題があると親が責任を感じる割合も高いのです。
 けれど、逆に子どもを育てることに責任を感じるあまり、塾だ家庭教師だと、「教育」に熱心になる家庭も多いのです。親にとっては、それは大切な子育てなのかもしれませんが、子どもが求めているのはそういうことではないこともあります。
 小学四年生ころまでは、周りの大人の価値観を取り込む時期なので、一生懸命親の要求にこたえることで、親にほめられ、それで、自分の価値を確かめる時期なので、無批判に大人の価値を取り込んでいきますが、その時期を過ぎると「自分」探しが始まります。そうなると、それまで栄養分として無批判に取り込んできた価値観に対して、「おかしさ」や「居心地の悪さ」を感じるようになります。これは、不登校の子どもに限ったことでなく、多くの人に当てはまることだと思います。つまり、親に対して求めているものが変わってくるのです。
 それまでの価値観を否定するために、暴れる場合には、親や暴れる対象に対して、「自分とのかかわり方をもっと考えてくれ」という訴えがこめられていると考えてよいと思います。「暴れる性質」と思いたくもなりますが、どこでもここでも暴れているわけではないと思います。どこでもここでも暴れる子の場合は、もっと以前から暴れていると思います。その場合には、心療内科などで医療的なアプローチをしてもらう必要があると思います。
 親の会では、子どもをしつけたり、育ててやったりするという立場から、子どもと対等に人間として付き合う中で関係が変わっていった話が時々聞かれます。

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親の会は傷のなめ合いだ。何も問題は解決しない。

 確かに親の会は傷のなめあいの部分があります。しかし、このような「厳しい」指摘をする人は、おおむね、子どもの苦しみにも、親の苦しみにも無関係で、自分の価値観を動かさない人が多いようです。簡単に言うと「他人事」だからそういう風にいえるのだと思います。
 「なめてもらう」というより、「わかってもらえる」人があまりに周りに少ないからこそ、そのような痛みがわかる人同士が集まるわけで、「寄り集まっても解決なんかしない」と思っている間は、まだ親の会が理解できる段階にいたっていないと考えてよいと思います。
 どうか、わからないことをご自分の価値観で切り刻まないでください。このような指摘に対して腹が立った場合は、まず間違いなくあなたは不登校に対して偏見を持っていると思います。ご自分が学ぶ努力をどうかしてください。今までのあなたの考えがすべて正しいといったい誰が保障できるでしょう。
 親の会に集まっている人の中でも、初めはそのような偏見を持っている人がいます。けれど、偏見を持ちながらも藁にもすがる思いでやってくる人の心の痛みは、そう簡単に「傷のなめあい」で片付けてしまうには余りあるものがあります。

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義務教育なのだから行くのは当たり前だ

 このページを読んでいる人で、これを知らない人はいないと思いますが、義務教育の「義務」とは、子どもが学ぶ権利を保障するために保護者に課せられた「義務」であり、子どもには義務はありません
 平たく言うと、「稼業が忙しいから、学校に行きたいといっている子どもを行かせない」とか「どうでもいい」「金がかかるから学校にはやらない」「自分は学校が嫌いだったから子どもも行かせない」とか言う大人の都合で子どもを学校に行かせないと言う「不利益」を与えてはいけないということです。
 子どもには、学ぶ権利だけがあるのです。
 そういう意味で言うならば、子どもに合わない学校しか作っていない教育行政の責任こそ問題にされるべきです。日本の学校は、アメリカに比べるととても画一的で、いろんなタイプの学校がありません。子どもたちは学校を選ぶことができないのです。
 子どもの問題でなく、大人の問題です。

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