「町村発言」に思う
夕 焼太
 皆さんご存知のとおり、町村文部科学大臣が、2月2日の記者団との懇談会の場で、「奉仕活動」の導入に向けて自説を披露しましたが、この時あわせて「不登校」に関しても、「子どもの自己統制力をないがしろにして好き勝手にやらせてきた面がある。学校に行かなくてもいいと、はき違えた自由が不登校を増やしてきた側面もある」と発言し、これが毎日新聞等で報道されました。
 この記事には、私自身もたいへん腹がたちましたが、当然のことながら、不登校の子どもや親たち、そしてたくさんの市民や文化人の方々がすぐに抗議の声をあげました。そのひとつが、「不登校を考える大分県ネットワーク」の皆さんのホームページに4日付ですぐに掲載された「町村文科相の考えこそがはき違えている」と題した声明ですね。
 
 5日になると、町村大臣は、「発言」への抗議に対応して、文部科学省のホームページに「不登校に関する私の考え方」と題する見解を掲載しました。いわく、「不登校児童生徒の中には、家庭や教育の中で、自己統制力(セルフ・コントロール)を児童生徒に身につけさせることが不十分であったことが原因となっている場合もあるのではないか」、「自己統制力無き自由や権利の主張は、好きなことだけをさせ、気に入らないことはやらなくてもよいという結果をもたらせてしまう。大人になれば、自分の好きなことだけをやっているわけにはいかない」云々。
 この文科省のホームページで町村大臣は、報道では自分の発言の一部だけしか取り上げられなかったとして、自説を積極的に開陳しています。疑問がつきつけられたら「言い訳」をしたくなるのが常でしょうが、今回町村大臣のとった姿勢は、「弁明」というより「居直り」といったほうがよいでしょう。
 町村大臣本人は、もともと教育問題の分野では「タカ派の論客」のひとりとして有名だったようですから、今回の発言もいわば「確信犯」が意図しておこなったものであり、いわゆる「失言」の類ではないと私も思いました。けれども、わたしたちが問題にしなければならないのは、町村大臣の主張が、ひとり彼だけのものではなくもっと根が深く・太いということだと思うのです。
 文部科学省のホームページにアクセスしてみると、いま政府や文科省が推し進めている「教育改革」の指針になっている「21世紀教育新生プラン」なるものが掲載されていました。町村大臣は、この「プラン」の「基本的考え方」の章でつぎのように述べています。
「我が国の教育は、いじめ、不登校、校内暴力、学級崩壊、凶悪な青少年犯罪の続発など深刻な問題に直面しています。また、個人の尊重を強調する余り『公』を軽視する傾向が広がり、青少年が『弧の世界』に引きこもる傾向が現われています。」
 先の「町村発言」と重ね合わせてみると、町村大臣の言いたいことは、「家庭でも学校でも、個人の自由や権利ばかりがもてはやされ、子どもたちを好き勝手にさせてきた。だから、自分をコントロールし耐えることができない子どもがどんどん生み出され、あげくのはてに不登校や引きこもりになるのだ。個人の権利ばかりが尊重されて『公』(公共心→故郷土愛→愛国心!?)という視点が軽んじられているから、我が国の教育は危機的状況になったのだ!」とでもなるのでしょうか。  ところで、この「教育新生プラン」の素材のひとつとされたのが、昨年12月に発表された「教育改革国民会議」の「最終報告―教育を変える17の提言」のようです。かの江崎玲於奈氏らの文化人・知識人といわれるメンバーが議論し、全国で公聴会のようなものも開催しながら、この報告書をまとめたようですが(したがって、当然のことでしょうが)、これを読むと、町村大臣が発言した中身と、その考え方・根っこが同じだということがわかります。
 この報告で直接「不登校」に触れている部分は、「問題を起こす子どもへの教育をあいまいにしない」という項です。「ひとりの子どものために、他の子どもたちの多くが学校生活に危機を感じたり、厳しい嫌悪感を抱いたりすることのないようにする。不登校や引きこもりなどの子どもに配慮する(?)ことはもちろん、問題を起こす子どもにへの対応をあいまいにしない(!)」と書かれています。 
 この報告では、「問題を起こす子ども」には出席停止など断固たる処置をすべきだ、ともされています。実際いま、出席停止措置は強化され実施にうつされており、さらに警察への要請も躊躇せずやるべし、というような指導もはじまっていると聞きます。(皆さんのホームページでとりあげている「合同新聞の記事」もその一端だと思います。)
 ついでに言うならば、「心の東京革命」なるものを提唱している石原都知事も同じようなことを主張していますね。自分たち大人社会の矛盾や腐敗を脇においたままで「耐性のない子どもたち」の方を問題にしているところはそっくりです。
 彼らに共通している考え方は、「問題児(不登校児もここに入ります)は排除して・他のまっとうな子どもがちゃんと勉強できるようにすべきだ!日本の教育水準がこれ以上低くならないように、能力のある人間を選定しエリート(不登校児はここには入りません・よかったですね!)として伸ばしていけるシステムをつくらないと国際競争に打ち勝てないぞ!」というようなものではないでしょうか。
 
 以上のような動きを見るならば、つぎのような構図がみえてきます。いま教育基本法の見直しなどを呼びかけながら精力的に動きまわっている文部官僚や「教育改革国民会議」メンバーである「教育改革」推進派の知識人らの一群の人々がいて、彼らの先頭に町村大臣がいる。そして、かの「発言」も、ある意味でタイミングよくなされ、拍手をしている連中がいる….。
 したがって、これらのことをわれわれが問題にする場合に、町村大臣の主張を「時代錯誤的発言で驚いた」ということだけで終わると、ピントがずれてしまうように思います。彼らは、「ちゃんと今という時代を踏まえている」と居直り反論してくるのではないでしょうか。また、「92年に文部省が出した『不登校はどの子にも起こりうること』という見解と食い違うじゃないか」という批判も同じで、これだけにとどまるならば、そう言われた町村大臣たちはなんと答えるのでしょうか? 現在の彼らはつぎのように返答してくると思います。いままで「不登校はどの子どもにも起こりうる」といろいろやってきたけど、ひとつも改善されないじゃないか!むしろ不登校児は増えつづけ、教育の危機は深まるばかりじゃないか!子どもを好き勝手にさせるのはやめよう!親は子どもを甘やかしてはだめだ!ダメ教師は首にすべきだ!」と。 (もし、この方向にどんどん行くと、「問題児」である不登校児を「更生」させる能力のない教師は、教師不適格という烙印を押され、それをなんとか避けようとする教師が、不登校児を学校に戻そうとする動きを強める、ということになりはしないかと心配になります。) 許しがたいことですが、「以前はこう言ってたじゃないか!」とやっても彼らには痛くも痒くも無いのではないのでしょうか。
 私は、「いまの文部科学省と政府は、従来の文部省の方針との関係では、いままでの対応には限界があるとみて考え方を転換した・しつつある」ととらえるべきと思うのです。このことをはっきりさせたうえで、「いまどこがどうおかしくなっているのか。いま彼らはなにをねらいどこにもっていこうとしているのか」を一歩踏み込んで考え、みんなで「この動きはおかしいぞ」と声をあげていかなければならない大事な時期にいるのではないか、と思います。
 
 まだ、考えが足りないところや、言いたりないこともありますが、長くなりそうなので、この辺で止めておきます。繰り返しになりますが、今回の「町村発言」にもあらわれたように、「いま、とんでもないことがおこなわれようとしている」という感じがしてなりません。不登校の子どもたちだけでなく、すべての子どもたち、そしてこころある教師の方々に対する締めつけがさらに強化されようとしていると思います。みんなで声をだしていかないとたいへんなことになるような気がします。

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