まくらのつぶやき
死は究極なんかじゃなくてにゃ、輪廻でもあるんじゃないのかにゃ。
人の人生が時間を無視してにゃ、均衡のとれたもんだとしたら、それでいいんじゃないのかにゃ。
平穏な人生なんてにゃ、必然性にかけるんじゃないのかにゃ。平穏に高齢まで生きてこられた奴なんて、いるのかにゃ。
趣味なんて本に言い当てれば知識なんかより、経験がものをいうと思うんにゃ、専門書だって5.6本読んだくらいじゃ、ろくな結果に結びつかないもんにゃ。
口は現在の剣術にゃ。
人間にもいい方にも、悪い方にも傾く群の習性があるから、そんなところに変わり者の必要性が出てくるんにゃ。
ふと見るものや偶然の全てが神の啓示にゃ、まくら達も実感できる時があるんにゃ。
幻覚と霊視とか、陰と陽とか、表と裏とか、男と女とか、仲良しと不仲とか、両者共に主張するもんだから、この世は何でも二つないと存在できないもんなんにゃ、だから苦楽があって苦しみはどうしても避けられなくて、人間の欲を納得させる楽園なんてこの世にはないんにゃ。
暗がりで、けなされても闇の中では、相手が誰なのか分からない時には、漂う風が認めないんだから黙っていれば平気なもんにゃ。
人の遺伝子に真実という終了が含まれていないとしたら、人が真実を得ることは絶無ということなのかにゃ。
まくらはどんな大敵でも同じ人間同士である限り敵は味方に変えられると思うんにゃ、殺人鬼にでさえ刑務所という更生宿があるしにゃ。
人間には悪(あく)という言葉なんて使えないのに人間達は誤解してると思うんにゃ、善と悪なんて言葉は人間界では使えなくて、考え次第で死刑は考えようがあるんにゃ、なぜならば全ての人間が赤ん坊の頃には喜怒哀楽を持っていて、感情の無いような目で乳首を食いちぎる赤ん坊なんて、まくらは聞いたことがないからにゃ、ただ長く乱れた時間を過ごす内に心に支障ができているだけだと思うんにゃ、だから死刑を賛成する者もあくではなくて、わるなんにゃ。
アホウは口までにゃ。
風の声を聞いていれば樹のように、すさんでも時が経つにつれて、青く繁栄するんにゃ、風の姿を見極めるんにゃ。
苦労には必然性が付き物にゃ。
過ぎたことは後悔する意味もなければ、必要もないにゃ。
幻覚やら幻聴も一種の学問にゃ、確認確定不足なだけの真実なんにゃ。
心臓を動かすだけのような愚かな周りの心理にゃもう、うんざりにゃ、風刺ものの兄者がかわいそうにゃ、特別にも得た脳みそを使わない人間はクソ同然にゃ。
眠れば夢が現実にゃ、おきればこっちが現実にゃ、あの世もこの世も現実にゃ、一度入れば抜け出せない世界たちにゃ。
運命は変えられるなんて言うけどにゃ、その言葉を否定するとしたらにゃ、未来を変えることは過去を変える、記憶を作り変えるのと同じでにゃ、不可能なことにゃ。
強ければ勝ち弱ければ負けるのが、自然の摂理にゃ、口喧嘩にしても最後の最後にはその摂理に添うんにゃ、心の弱い方が先に逃避するんにゃ、でもそんなものはそう簡単に見られるものじゃないと思うんにゃ、生物の進化の様ににゃ。
他人は全てが自分でもあるんにゃ。
未来を変えることは、同じ存在である過去を否定するのと同じにゃにゃいか、未来を切り開いたと思う自体が、時の作用にゃ。
人はコミュニケーションが疎遠するほど、感情の衰えていく生き物なんにゃ、刺激やなんかじゃ目覚めないんにゃ、子供の競争だってその為にゃ、完璧主義者だって孤独な自己不満で生きてるんにゃ。
勉強は知能でできても、頭は経験でできるんにゃ。
苦労をしなければ楽を知ることができないにゃ、楽をしなければ苦労を知ることもないにゃ。