ルネサンスのイタリアにおいて、フィレンツェのマキアヴェッリはある画期的な軍制の制定を提唱しました。 「市民軍制」です。彼は当時フィレンツェにおいて傭兵隊長たちとの交渉に当たる役職に就いていたことがあり、彼らの不誠実さと狡猾さについては骨身にしみてわかっていました。その経験に基づいて『君主論』では「傭兵軍は自国の役に立たないだけでなく、害となる」とまで言いきりました。もう1つ彼は「外国の支援軍もまた同様である」としていますが、外国を巨大な傭兵軍と考えれば彼が外国軍をも害と見なすのも当然でしょう。
オスマン・トルコのある大臣は「国家の維持には優れた軍隊がいる。優れた軍隊の維持には豊かな富が必要である。豊かな富には……云々」という格言を残しています。優れた軍隊を自前で持つことは多大なコストがかかります。しかし、国家の維持には現実問題として軍隊が必要です。だからといって外国から軍隊を求めれば自国はその国からの圧力に抗し難くなり、国家を維持するはずの軍隊は逆に自国の害として働いてしまうのです。我々は沖縄の米兵の失態などから「外国軍の害」というものを推し量ることは容易いはずです。
そこで市民軍です。彼らは未熟さと選抜する手間がかかるという欠点を持っていますが、その裏返しに士気の高さと安価であるという利点を持っています。士気の高さは特に自国を守ろうという意志から生まれ、軍事技術の未熟さを補ってあまりあるほどの効果を発揮します。また、安価であるというのは彼らが普段は別の生業についていて、訓練と実戦の時だけ兵士になるという点から維持費が安くつくということです。
中華王朝の北宋の軍には大まかに分けて中央の職業軍である禁兵と地方の農民軍である郷兵がありました。装備がいいのは無論禁兵なのですが、金軍が注意を払ったのは農民軍である郷兵だったそうです。彼らは自分たちの土地や家族を守るために必死に戦ったからです。一方の禁兵は戦意が低く、北宋の奸臣たちの醜行も相まって脆弱な軍でした。同じようなものに7,8世紀のビザンツのテマ制があり、地方軍であるテマ兵は中央野戦軍であるタグマと連動し、ササン朝やサラセン軍をしばしば破っています。傭兵として有名なスイス軍はあれは元々は自由農民からなる反乱軍でした。彼らが王侯貴族に敢然と立ち向かい、その軍隊を打ち破った勇名を買われて、ついにはローマ教皇の親衛隊となるまでに出世しました。
この郷兵やテマ軍を大規模に、そして政治と結びつけてより効率的に運用するシステムが市民軍制です。郷兵やテマ軍というのは郷土心のみを拠り所とするために、外征を嫌います。それが長期的に見た場合に自国全体の安全に繋がることであっても外征には反対します。彼らはあくまで自分の土地や家族を守るために戦うのであり、自国のために戦うのではないからです。一方の市民軍は国家を構成する人間によって構成されています。彼らにとっては国家のためとはすなわち自分のためです。為政者のためには戦わない彼らですが、その外征が国益になると判断すれば彼らはあえて反対はしません。
ローマが拡張政策をとって膨張していった背景には、潜在的驚異を叩いていった結果ああなったという側面が確かに見られます。第二次大戦でフランスが固定された防衛ラインに頼りすぎた結果、機動力に優れたドイツ機甲師団に蹂躙されたように防衛というのは結局のところ攻撃も含めて成り立つものです。専守防衛というのは戦略的には二流であって、あれは思想や対外政策のためのポーズといった方が正しいものです。市民軍というのは存在するために1つの条件があります。それは構成員が市民であることです。要するに、従属するだけの臣民はいくら集めたところで市民軍とはなり得ないということです。せいぜいがテマ軍や府兵制などの農民軍でしょう。これは共和政体を持つ国ならばさして気にするものではないのですが、絶対的な権力を持とうとする君主たちにとっては甚だ不都合なものです。彼らとて安価で士気の高い軍隊は欲しいのですが、そのために自らの権力を削られるというのは本末転倒というものでしょう。
もっともこれには一つ抜け道があり、自らの弁舌やカリスマで市民を丸め込んだり煽動してしまえば、実質的には市民を自分で操ることは可能です。ですがこれは一部の狡猾な為政者にのみ可能な手段であり、大部分の君主たちには困難なものでしょう。
ヒトラーもナポレオンも市民軍を使って領土拡張を目論みましたが、彼らが負け始め、民衆が幻想から目覚めると徐々に支持を失いナチス・ドイツでは内部抗争すら起こっています。市民軍を使って自国の勢力拡張に成功したのはビスマルクくらいではないでしょうか。市民軍が素朴な愛国心を拠り所にする以上、仕方のないことですが。日露戦争の日本軍もそうだといえるかもしれません。あの無茶な戦い方は異常なまでの士気の高さがあって初めて可能なものです。従属民の寄せ集めである軍隊や、格好だけの封建軍隊ではまず無理な戦い方です。
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