軍師論


 三国志においてたくさんの活躍の場を与えられている「軍師」。
 しかし、「軍師」と「参謀」とをごちゃ混ぜにしている人も多いのではなかろうか?この2つ似て非なるものである。なお、両方とも平時の官僚機構の中に組み込まれている職務ではない。非常時の軍事的地位なので、平時には存在しにくい地位であるということも言っておかねばならないだろう。

 解説する上で、簡単なのは「参謀」である。現在の軍隊にもある、参謀を思い浮かべてもらえれば話が早いからだ。もっとも、現在の参謀は軍事面での戦略しか考えさせてもらえない。参謀という正式な職務は、現在では軍隊・自衛隊内にしか存在しないからだ。もっとも、政治家にはいわゆる知恵袋だの、ブレーンだのという、こんどは政治面の戦略を考える人間が別にいる。 三国時代の「参謀」という存在はこの2つを合わせたような職務と考えればよい。軍隊付きの参謀は特に「参軍」と呼ばれる。  ここで注意して欲しいのは、「参謀」は意見や戦略案は述べるが、実行する権利は(少なくとも大っぴらには)与えられていないということである。

 次に、「軍師」である。「参謀」がアドバイザーであるのに比べて、「軍師」は一般にいって軍事面ではトップという位置に置かれる。平時においては国軍全体の軍制・武装の管理を行い、軍全体を精鋭の状態に保つ。戦時においては総大将は君主ということになるが、君主が戦争に不得手である場合などは「軍師」が総大将の代わりを務める(「参謀」にはそんな権限はない!)。また、君主が戦争に得意である場合は「分身」として別働隊・留守部隊の指揮にあたる。前漢の蕭何が戦乱の世で功績一番に上げられたのは、まさしくこの半身・代理人であったからとも言える。単に物資を送るだけならただの内政屋だが、命令を受けてもいないのに的確な輸送を行って主の危機を救ったとなれば、これは戦略家の仕事である(『漢書』蕭何曹参伝より)。韓信を登用させたのも、漢の長期的な国家戦略を預かっていたのも彼であった。
 太公望呂尚・管中・商鞅・伍子胥・范蠡・呉起も「軍師」である。孫武・尉繚などの兵法家も、逸話どおりの権力を有していたのなら「軍師」である。……何? 管中や商鞅は宰相じゃないのか、と? ではお聞きするが一軍閥に宰相など存在し得ようか? 劉備に例えれば左将軍府に「宰相」がいるというのは絶対にあり得ない事である。「軍師」とはつまり、一軍閥における「宰相」をさすのである。事実、各時代の戦乱においても軍師を務め上げた人間が宰相の位に就いている。考えてみればこれは当たり前であろう。「軍師=宰相」でなければ統一後は軍師は閑職にまわされ、ただの一官僚が宰相に任命されることになる。「宰相=軍師」といってなにもおかしな事など何もないのだ。むしろ、「軍師=名戦術家」というが通用するのは三国志演義のみとお考えいただきたい。前線にほいほい出て行く人間というのはもっと下の人間である。軍師は地位的には君主と同列にいる存在である。違いは集団の核となっているかいないか、である。中国で君主は集団の「核」として、行動力と気宇の大きさ・野心が求められる。そしてその気宇や野心に答えられる総合的な組織作り・組織運営を担当するのが「宰相」であり、「軍師」なのだ。状況に応じた献策というのもそれは「軍師」であるための十分条件であって必要条件ではない。平時から組織を堅固なものとすることが「軍師」たるものの勤めなのだ。状況に応じなければ、つまり任務を与えられなければ働き出さないのは参謀や将軍の仕事である。

 余談だが、責任を持たせない参謀職であれば馬謖でも務まったのである。彼の進言は実戦指揮と異なり的を射たものであった。アドバイザーしかしていなかった「参謀」タイプの人間は今一度能力の検討を行った方がいいかもしれない。自分の策をまた自ら責任を持って実行するという地位はそれほど困難な職務だということだ。「言うだけは易し」である。

 そういう意味で諸葛亮は「軍師」といって差し支えないのだ。ただし、「参謀」とは呼べない。平時においては軍制・武装を管理し(彼の初仕事は戸籍整備による兵力増強であった。武装・兵制については今さら言うまでもない)、戦時においては全権を与えられ(入蜀の際は別働隊司令官となっているし、赤壁後の南荊州平定は彼の管轄であった)、戦時国家を運営するというのはまさしく「軍師」の姿である。燕の楽毅は将軍と呼ばれるが、国家戦略を考える権利と全権を与えられたその姿は「参謀」ではない「軍師」の姿と言えるのである。諸葛亮が擬えたがったのも当然であった。(田単は一流の策士であり、ハイレベルの参謀であったが軍師ではない)

 法正や魏の荀攸は職務としてはアドバイザーとしての「参謀」であった。荀イクは従軍しなかった代わりに、留守中の全権を任された。彼は従軍しなかったというそのことにより曹魏において数少ない「軍師」といえるのである。逆に劉備や曹操に戦場へと連れていかれた面々は実権を与えられない「参謀」ということだ。ただし曹魏政権においては「軍師」の職務を曹操自らが担当する事も多く、また武官・文官の枠を越えて権力を行使できるという軍師的な職務が存在しにくいため、魏は「軍師」の存在意義そのものが薄くならざるを得なかったということも言っておかねばならないだろう。本来「軍師」がするべき仕事は初期・中期は曹操自身が、後期は高度な分業制で行われていたからである。また、呉においても周瑜を軍師と言いたいところだが、ここも武官・文官ははっきりと分かれている。周瑜と張昭の2人合わせて軍師的存在と言った方がよいだろう。一方、陸遜は「軍師」である。彼は文武の両面に実行権力を持ち、丞相職を務め上げたからだ。
 中国の歴代王朝では統一後、軍師が宰相の任に就く。周瑜はおそらく軍事長官には就いただろうが、宰相にはならないだろう。荀攸や法正も三公職などには就くだろうが文武を越えた地位である宰相にはならないだろう。
 はっきり言ってしまえば、劉備政権がロクな組織を持っていなかったからこそ孔明のような「軍師」が存在していたと言える。彼は対外戦略・内治政略の双方に実行権力を持ち、まるで戦国時代の商鞅や呉起のような絶大な権力を持っていた。孔明以上の軍師を探すのが難しいというより、曹操がトップにいた曹魏や、豪族同士の寄り合い所帯であった孫呉に軍師が存在しにくかったと言った方がよい。人材不足でなければ軍師のような突出した権力者は存在し得ないのである。陸遜や諸葛恪が丞相になったのも彼らを脅かすほどの幅広い見識を持った人間がいなかったからである。逆に曹魏においては荀ケ以後は参謀的存在はいても、さりとて実行権力まで持った人間はいなかった。郭嘉は頭脳レベルではトップクラスである。しかし、彼はどこまで言っても「参謀」なのだ。人にやらせている限り、絶大権力を振るう「軍師」とはいえないのだ。太公望呂尚・管中・商鞅・伍子胥・范蠡・呉起は皆、進言するだけではなくその進言したことを責任を持って自ら執行した。「軍師」とはそれだけの絶大な権力を与えられるほどの行動力も要求される職務なのである。
 郭嘉や法正、荀攸の知略・才能の問題ではない。つまり、諸葛亮が傑出した存在ではなく、彼のような存在を許していた劉備勢力が特殊なのであろう。元々「軍師」分野に属する人間自体、三国志においては希少だということだ。

 演劇に例えれば「軍師」とは舞台全体をデザインする演出家や脚本家であり、「参謀」は舞台監督の補佐であって全く違う職務だということだ。
 スポーツチームに例えれば「軍師」がチーム会長やゼネラルマネージャーで、「参謀」が監督を助けるコーチである。
 当然、軍師が総大将となって参謀が付くのは少しもおかしなことではない。職務が違うのだから当然である。

 なぜこういう勘違いが生まれたかも大方予想がつく。日本人は大方「軍師」というと三国志演義の孔明からイメージを得ている。そして正史を読んでその認識を是正しようとするわけだが、ここに落とし穴が存在する。
 演義と正史の違いは孔明の行動であって、就いている役職・職務にはない(どちらも軍師中郎将であった)。それなのに認識を是正する段階において、行動と一緒に役職・職務をも是正しようとするからこうなってしまったのだ。正史の孔明の行動こそが「軍師」の仕事なのに(これが至極正当な論理であることは、少し考えればおわかりいただけよう)、演義の孔明の行動こそが「軍師」の仕事なのだ、などと考えるからおかしなことになったのだ。
 「真の軍師は○○」という人の軍師観は、演義の孔明がやっていた軍師役である事が多い。「演義では孔明がやってたけどホントは○○がやったんだ。真の軍師は○○だ」ということらしい。しかし演義の孔明が作り物なのに、なぜその作り物がやっていた軍師の仕事が作り物であるとは思わないのだろうか?
 演義の孔明の行動は物語の演出上「軍師」としての職務をやや逸脱したスタンドプレーが多い。当然、正史ではこういうスタンドプレーは大きく減り、「軍師」の職務に精励する彼がいる。当然、演義でスタンドプレーとして孔明がやっていた仕事を担当している人物は別にいるわけだが、これを持ってその人物を「軍師」というのは明らかにおかしいのである。どうせ表現をするならば「演義の孔明は軍師以外に、○○の要素も加わっている」というのが適切である。
 演義の用語に基づいて正史を判定するなど本末転倒もいい所である。正史を語るなら、まず正史の用語を標準に据えるべきではないか。

これを読まれた上で、三国志を読み直せば、また違った見方もできるのではないかと思う。




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