
小豆島オリーブの丘YH→二十四の瞳映画村(自転車)→小豆島オリーブの丘YH(自転車)→池田港(バス)→高松港(フェリー)→高松駅(徒歩)→高槻(電車)
・香川県
内海町、池田町、高松市、国分寺町、坂出市
・岡山県
倉敷市、岡山市、瀬戸町、熊山町、和気町、備前市
・兵庫県
上郡町、赤穂市、相生市、揖保川町、太子町、姫路市、高砂市、加古川市、
明石市、神戸市、芦屋市、西宮市、尼崎市
・大阪府
大阪市、吹田市、茨木市、高槻市
目覚めは良かった。ルームメートもいないという極めて特異な部屋での就寝は殊の外寝心地が良かった。疲れが相当貯まっているのであろう。思えば酷道あり事故ありのハチャメチャな旅行でこのような穏やかな朝を迎えるのは初めてではないであろうか。

部屋の窓から見える瀬戸内海
一人で颯爽と朝食をとったあと、YHでレンタサイクルをやっているのを知って、小豆島を走ってみようと思い立った。フロントでどこかいい名所はないかと聞いたら二十四の瞳映画村を勧めてくれた。距離はYHから10km程で半日のサイクリングだと丁度いいぐらいの距離である。まあ、どちらかと言ったら軽いぐらいなのだが。

傍観者として見る国道であった。久々の気分である。車で国道を走っている時は自分が主役であるように思えるが、一方自転車であったり歩行者というのは国道から見ると脇役である。今回の旅はヨサクといい381といい常に儂は主役であった。が、今回の国道436号線は脇役に徹したのである。小豆島を一周する国道436号線はヨサクと3違いとは言えそれほど走りにくい道でもなく写真のように片側一車線はある快適な道である。もっとも儂が走った限り、ではあるが。海沿いを走り朝日を浴びた清々しいサイクリングであった。
小豆島の中でも最も大きな町である内海町の港、土庄(とのしょう)まで国道を走りそこから脇道に入る。半島の先が二十四の瞳映画村になっているのである。その脇道に入ってしばらく走ると奇妙な臭いが鼻に付いた。さらに走るとその原因が分かった。

小豆島は昔から醤油の産地であった。よくテレビのCMでやっているマルキン醤油の倉がそこにあったのである。意外な所にあるものである。やるな!!マルキン。マルキン醤油の資料館なるものもあったが基本的に興味のない儂は素通りして映画村を目指した。
映画村までの道のりは結構厳しい。ちょっとした峠を越えたりしなければならない。さらに道も狭くなり四国本島で嫌と言うほどお目にかかった一車線道路が現れたりする。そして映画村の手前に二十四の瞳のモデルとなった分校跡の「岬の分教場」がある。
中は当時の面影を残しており、当時の展示物などをそのまま残していた。

木造でまさに「昔の小学校」といった雰囲気である。当時の生徒の展示物、図工の作品であったり習字であったりそういった物までそのまま壁に貼られていたりしてびっくりした。

音符の覚え方を絵にして描いてある、丁度「Sound of Music」の「ドレミの歌」みたいなものだろうが、結構独特の象形物を使っている。特に「ド」が奴隷なのが笑いを誘う。今では絶対に使えない連想である。
また尋常小学校時代の教科書なども展示されており、最敬礼などの右寄り用語説明も文語体で施されていた。写真を撮ったのだがディスプレイのガラスでだぶってしまい失敗したので、文章だけ載せよう。
二十四の瞳映画村に入る。

海が近いために水路に魚が入り込んでいる。
ここの茶屋で涼む為にところてんを注文した。なんでも小豆島はところてんの原料のテングサの産地らしくて、名物料理らしい、期待して待っていたら何故かオリーブの葉を載せた黒蜜を絡めたところてんがやってきた。オリーブの葉なぞ食べられるのかと思って食べてみる・・・まずい。食うための物ではなく単なる飾りのようだ。ならばところてん本体は・・・む・・・なんだこの変な臭みは・・・まずくて食えた物ではなかった。
映画村からユースホステルに戻る。それにしてもオリーブの木があちこちに植えられている。小豆島はオリーブで有名ではあるがこんなにあちこちに生えているとは。しかし、このような風景も見受けられる。

ゴミの不法投棄である。小豆島は観光の都市である。従って町の美化というのは最大の課題であるはずなのだが、心ない観光客がこうやってゴミを何の躊躇もなく捨てていくのには憤慨する。小豆島に限らず大阪近郊の山へサイクリングへ行くといつも不法投棄が目立つ。こういった観光客のゴミ、ビニール袋に入った物だけならまだしも大阪の場合、明らかに産廃の様な物(車、プラスチック片など)まで混じっている。町が汚いのはどうせ自分の責任であるのだから仕方がないとして、こうやって外に出てまで汚す行動をとるというのが理解できない。確かに儂もポイ捨てはする。ゴミをゴミ箱にちゃんと入れない。しかしそれは家の中に限った事である。外では他人の目があるのだからとてもそんなことは出来ない。それこそが公と私の区別というものであろう。恥という概念は人をしばしば消極的にさせる。しかし、恥を無くした時人間は人間ではなくタダの本能のみで動く猿と化すであろう。我々は人間たるためにどうすべきかを学ばねばならない。私はこの旅でそれを学んだ気がする。
ということで儂は小豆島を発った。昨日までの予定であればこのまま松山まで行く予定であったのだが、結局小豆島での長居が祟り、松山到着時間が遅くなること、そして旅に対して心の随まで疲れ切っていて帰りたい気持ちで一杯であった為に迷っていた。迷っていた儂は松山へと向かう観音寺行きに乗るべきか自宅へと向かう岡山行きに乗るべきか全てをコインに託した。表なら観音寺、裏なら岡山、そして出てきた答えは・・・
こうして儂は行きの行程の逆を辿り高槻へと戻った。自宅へ戻ったときに待っていたのは貯まりに貯まったメール、膨大な手記、そして100枚以上のデジカメの写真であった。それが8/15の話であり、3ヶ月後の本日やっと全ての作業を終えることが出来た。本来ならばもっと早くアップを終えるべきであったが、その先儂は暗い暗い鬱のトンネル、最後の鬱トンネルを通り抜けることになり、アップどころか日記すら更新できない状態に陥った。鬱から立ち直った後もしばらくは旅行手記を書くだけのモチベーションが足らず苦労した、が11/27の今日、長い長い旅がやっと終わった。旅行の時、レンタカーで佐那河内村で流れていたFMはミスチルの「Not found」、今聞いているのはaikoの「前ならえ」長い旅であった・・・
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