STGE 琵琶湖一周 Round Lake Biwa

距離 激
整備 良
勾配 一部を除いて無
後遺 多々

今回は以前から計画をしては断念を余儀なくされた琵琶湖一周を敢行した。 琵琶湖一周はサイクリングガイドにも掲載されているように、関西のサイクリングコースの重鎮として位置するルートである。 そして通常は二日かけて回るのがこのルートの通例だが、今回は1日で回ろうと考えたのである。

序章 準備

7/18、この日は大学の授業の最終日である。朝いつものように家を出た儂は駅に向かう事無く、そのまま 西国街道を東へ走った。どんなに頑張っても一日で高槻から琵琶湖を一周するのは無茶である。 よって京都から出発すべく京都へ向かったのである。友人の家で一泊して次の日に一周をすればなんとかできるだろう。そう考えた。10時頃大学に到着し、授業を受ける。午前中で授業は終了し、午後からは明日に向けての準備に入る。川端沿いのアイバサイクルでペットボトルホルダーを買おうと思って向かうも見あたらない。「もしかして潰れた!?」と思ってもう一度よく探してみると・・・あった、が何故か閉まっていた・・・仕方なく「サイクルショップあさひ 十条店」まで行く事に。
この日は再び高槻に戻る用事があったので、烏丸まで戻りそこから阪急を使って高槻に帰った。文明の利器のありがたみを実感する一瞬である。今日は吉田本町の友人宅で床に就き、明日に備えるのであった。

第1章 朝ぼらけ 京都→大津

7月19日、3時、蚊の羽音に寝付けなかった儂は外に轟音を聞く、急に雨が降り出した。これは危機である。週間予報によると天気は曇、まさか雨が降り出すのではないか。そんな憂慮が飛び交った。とりあえず雨は10分ほどで止んだが路面は濡れている。とりあえず4時出発を遅らせる事になった。

4時半、我々はついに琵琶湖へ向けてペダルを漕ぎ始めた。本当は山中越えを予定していたが、雨の影響を考えて安全策として蹴上を越えることにした。外はうっすら明るい。普段見たことのない大学の姿をみながら我々は東大路を下った。丸太町から白川に入り南禅寺の前を通り過ぎて蹴上にさしかかる。坂を軽やかに越えて山科に入り、そのまま京都東ICの歩道の複雑な変化に戸惑いながらも逢坂を越えて大津に入った。

第二章 朝日 大津→琵琶湖大橋

ついに大津に到着した。琵琶湖を臨む。これから嫌気がさし見るのも祖谷になるほど見ることになる日本最大の湖である。浜大津より左手に見える風景を目に焼き付ける。奥に見える風景、一周の旅のゴールとなる場所だ。果たして向こうに見える景色に到着するのにどれだけの時間をかけることになるのだろう。そう思いながら琵琶湖岸の公園をゆっくり走る。かなりシュールなモニュメント、H科氏やM田氏にふさわしいような笑いの取れるモニュメントを見ながら近江大橋を渡りいよいよ湖岸道路に入る。琵琶湖の湖岸道路はきれいに整備されていると聞くが予想以上の良さである。自転車の大敵である歩道道路間の段差すらなく、自転車を最高速度で走らせる事ができる立派な道路と言える。この道を我々は24〜28km/hで走りどこまで続くか分からない道をひたすら北上する。

途中、風車が見える。風力発電の風車である。大学の授業、エネルギー変換工学で風力発電の話の時に出てきた物である。風力発電の為の風車は羽が小さい。ソリディティ比の小さい風車の方が大きな回転数を得ることができ、発電効率が良いからである。意外な事だが羽を広げて多くの風を受けようとしても発電効率は上がらない。風力発電の面白いところであるが、風を受けるためにすべての風を受けるような羽を作ってしまうとその時点で風は止まってしまいエネルギーを全く取れなくなってしまう。微妙に風を逃がすような形にしなければ風車は回らないのだ。

第三章 疲労 琵琶湖大橋→彦根

6:30、琵琶湖大橋の交差点で休憩を取る。雨の降った後の路面の水たまりで自転車も人間自身もそしてペットボトルホルダーに入れていたペットボトルも泥まみれになっていた。朝飯を満足に取らなかった我々はここで朝食を取ることになる。休憩の毎に地図を取り出し、次のルートを調べていく。琵琶湖大橋を通る国道は477号線、京都は酷道、滋賀に入るとミスコース連発のピッチワーク酷道と化す恐るべき酷道である。そんな477号線もこの付近は国道できれいな道である。しかし、この先から道が酷くなることを考えると何とも言えない気持ちになる。この477号線を走っている人間は「ああ、477号線はきれいな道だなぁ」と考えるだろう。しかし、この後数分にして彼らのほとんどは477号線から外れてしまうのである。そして、そのとき477号線の恐怖を初めて知るのだろう。恐ろしい事である。(なわけない)

琵琶湖大橋を過ぎると、滋賀色満載な風景に突入する。まず「わんわん王国」、絶対ネタとしか思えないCMで物議を醸しだしている守山が誇るテーマパークは果たして「痛みを伴う政治改革」に耐えられるのであろうか。絶対に死ぬとしか思えないが。
中主町に突入する。もはやそこにあるのは田圃である。田圃、田圃、田圃、田圃、どこもかしこも田圃だらけのまさに滋賀色満点な風景である。道は微妙、本当にわずかだが登りである。走りにくい、それと同時に4時から走り込んできた疲れが早くも現れ始めてきた。速度は22〜24km/h酷いと、20も出ないときがある。疲れがいよいよ現れ始めてきた。

近江八幡に突入する。前半戦の難所がここに待ちかまえている。近江八幡の国民休暇村。我々が中学1年の時に野外学習で行ったまさにその場所である。長命寺を過ぎるとそこからは山岳ルートに入る。湖岸沿いなので峠ほどの斜度があったりするわけではない、が激しいカーブが続き、微妙なアップダウンが連続する。疲れている我々にはこのアップダウンはつらい。そして、8:30頃、国民休暇村にたどり着いた。

国民休暇村の湖岸に砂浜がある。日も上がってきて体も火照ってきた我々は湖に入って水遊びに戯れる。海や湖に入るのは久しぶりである。水は冷たく心地よい。水に浸かると疲れも取れる。暫く寝転がり長い道のりの中ひとときの休暇を楽しんだ。

国民休暇村を出て再び山岳ルートを走るとすぐに海岸沿いから離れる。そして、再び滋賀色たっぷり田圃風景に突入する。近江八幡から次は能登川に入る。能登川といえば某大先生の住まう場所だがはっきり言ってそこは田圃しかない。もはや笑いしか出てこないような直線道路を夏の暑い暑い日差しを浴びながらひたすら走る。彦根市にやっとのことで到達する、が、そこで我々は「彦根市街までの距離15km」の看板を目にする。長すぎる。やっと彦根に入ったのに、まだ15kmも走れとは酷である。だが仕方がない。市街まで走ってそこで休もう、そう言ってひたすら走った。

が、走れども走れどもたどり着かない。集落に入り「もう市街か?」と思うやいなや道路は再び田圃のど真ん中に我々を誘う。あるいは湖沿いを走り市街地の風情を見せようともしない。「こんなに走ったのだからもう市街だろう」と思った時に再び行き先距離の看板が見えてきた。「彦根市街 8km」、もはやこれまでか・・・意識が朦朧としてきた。走りながら違う事を考えるようになってきた。限界が近づき仕方なく滋賀県立大学前のコンビニで休むことにした。

もはや儂の体には疲れ、そして空腹感が充満していた。そこで儂はおにぎり3個、ペットボトル(500ml)2本を飲み干した。サイクリングをするとペットボトルの消費が激しい。この旅で10本は飲んだはずである。正確な数は・・・わからない。

第四章 故障 彦根→長浜

やっと彦根市街に着いた。県道2号線に入る。交差点にドラッグストアがある。その駐車場で小休止を取る。駐車場から彦根城が見える。上の写真で彦根城の下に見えているのが我々のMTBである。手前が儂ので置くにあるのがMの物である。

それにしても、ドラッグストアユタカは滋賀県にいくつもあった。これも「平和堂」同様滋賀名物なのだろうか。

彦根で小休止の後、長浜に向けて自転車を走らせた。歩道を走っていると交差点で、自転車が直進できないように段差を付けて歩道をはしらせるようにしてあった。Mは慎重に段差を避けたが、フロントもリアもサスペンションを備え付けている儂のWARPに怖い物はない、と段差を果敢に飛び降りた。ところが、その直後急にギアの調子がおかしくなった。ギアが上がらなくなった。この旅行で唯一にして最大の事件である。自転車が動かなくなればこの先の道中を自転車で進むことは不可能である。

あの悲劇、四国は高知、西土佐村の事故を思い出した。進みたい、今までならば簡単に進める、手を伸ばせば届きそうなその距離を進むことがままならなくなる時の悔しさ、悲しさ、あのときわずか30km(車だけどね)で涙をのんだあの事故を彷彿させた。

ディレーラーの調子がおかしい。上がらねばならないギアが上がらない、それ以前にチェーンがたるむのは明らかにおかしい、同行していたMがネジを調節する。しかし、チェーンのたるみは明らかにおかしい。何故動かないのか、何故チェーンがたるむのか。炎天下の中ひたすら自転車をいじくる。Mがふと気づく、ディレーラーに突起があるのを。その突起をたたくとディレーラーは折り畳まれ再びチェーンに張りが戻った。本来折り畳まれねばならないディレーラーがその突起が引っかかって伸びきった状態にあったのであった。それによってチェーンが垂れてしまい、ギアを変えるだけのトルクを得ることができずギアに不調が来していたのであった。本来ならばこの程度の段差を越えることは問題ない事で、いつもJR高槻駅南口の横断歩道で赤になりそうな時に段差からショートカットすることがあったり、サスペンションがしっかりしているWARPならば軽い階段でも普通に降りることができる。しかし、今日は早朝の雨の後の水たまりで泥を跳ねていた。自動車の煤や泥がこびりついてディレーラーの動きが悪かった。そのために途中で引っかかってしまったのであった。結局同様の故障はこれを含めて、マキノ、そして堅田で計3回起こることになった。

それにしても暑い、長浜に向けて湖岸沿いを走る。ひたすら走る。湖岸は左にカーブし、遠くに長浜市街が見える。しかし、見える景色の遠いことは琵琶湖大橋にせよ、近江八幡にせよよく見かける風景である。走れど走れどその景色は近づかない。蜃気楼の様に我々の前に立ちはだかるのみである。

米原から近江町へ、そして長浜市に到達する。右手に長浜ドームなる建物が見える。地方公共事業の無駄な投資の象徴とも言えるその奢侈なる建物に人影は全く見られない。
次に見えるのは上の写真、「びわこ大仏」、北陸へ行くのに北陸本線を走ると長浜付近で見かけるでっかい大仏である。この大仏に果たして御利益はあるのであろうか。
11時半、長浜にようやくたどり着いた。長浜駅前の平和堂、滋賀県名物の平和堂で我々は食事を取ることにした。

第五章 猛暑 長浜→湖北

平和堂で十分な休養、新たなペットボトルの補給、そして大便を済ませ、いよいよ湖北へと突入する。しかし、いきなりミスルートをかますことになった。湖岸道路は東へと張り出しているにもかかわらず道はただ北に走っているだけである。鐘紡の工場が見えるが歩道の整備が全くなく、車道を走らざるを得ない。道は狭く走りにくい。しばらく走ると8号線に合流してしまった。8号線の湖北名物長浜のカーブである。171の高槻のカーブの様に連続カーブが8号線にはあり、そこに合流した。

明らかにルートがおかしい、しかし引き返すことはできない。疲労も困憊している我々にその猶予は与えられていないのだから、出発して6時間以上経ったにもかかわらず未だ、折り返し地点すら過ぎていない。儂は焦っていた。京都まで帰るのはまだ良い。問題は京都から高槻まで30kmの道のりをさらに経ねばならない事である。できるだけ早く帰らねばならない。引き返して道を探すなどといった悠長な事をしている場合ではない、8号線を北上する。

虎姫町に突入する。姉川を渡る。織田信長の姉川の合戦の舞台である。太閤秀吉の長浜であったり、浅井長政の虎姫であったり、この付近は戦国ドラマの舞台が多い。今は亡き(いるけど)経済企画庁長官の堺屋太一の「豊臣秀長」や、亡き(これは本当に)司馬遼太郎の「功名が辻」を読んだ儂としては新鮮である。姉川を渡ると急に寒い空気が流れてきた。姉川沿いに畑が広がる、いや、畑というよりは森である。その向こうには同じ形の家が建ち並ぶ、電灯に群がる蛾の大群の如く並ぶその家の姿は些か不気味であった。酢という地名もまた不気味である。

湖北町に入り、高時川を渡ったところで湖岸道路への標識を見つけた。左に進路を変える。先ほどまで湖岸にいたのだからすぐに湖岸にたどり着けるだろうと考えるが甘い。走れど走れど見えるのは田圃。滋賀色たっぷりなその風景は一行に湖を見せない。早崎の集落に入る。道が狭い、狭い路地からは子供が飛び出しそうである。カーブミラーを見ながらおそるおそる飛ばす(ヲイ、やっと湖岸道路に出た。

湖岸道路を走ると左の湖が緑色を帯びている。何の緑だろうか、縁には棒が立っているので何かの養殖なのだろうか、海苔か何かだろうか、海でなくて湖なのだからそれはない・・・そう、アオコである。水質汚濁が原因でプランクトンが異常発生する現象、アオコの発生は水中の酸素濃度を著しく現象させ魚を死滅させ、嫌気性細菌を増殖させ細菌が生成する硫化水素やアンモニアが異臭を生み出す水質汚濁の最悪の現象であるが、この目で見るのは初めてである。よく見ると辺り一帯が緑色になっている。恐ろしい公害の実情を目の当たりにした。

湖北町の水鳥湿地センターまで走り休憩を取った。

第六章 難所 湖北→マキノ

水鳥湿地センターは恐ろしく寂れたドライブインみたいな場所である。勿論平日なので人が少ないのは当然だが、雰囲気はサービスエリアの様に快適で炎天下の中、クーラーが効いていて自販機の湖北町名産大豆茶はキンキンに冷えていた。

尾上温泉を抜けると道は大きく右に折れ曲がる。そして、片山トンネルを遠くに臨む大きな左カーブとなる。トンネルの背後には山々がそびえ立つ、琵琶湖の難所、奥琵琶が近づいている。

琵琶湖一周コースは基本的に道は平坦である。近江八幡のアップダウンは確かに厳しいが高低差はほとんど無くせいぜい2,30m程度である。しかし、湖北の8号線、そして161号線の間には二つの半島とそれに伴う険しい山々がそびえ立つ。JRの場合も、北陸本線であれば余呉、近江塩津といった関西近郊区間の最果て、湖西線だと、永原があり電化方式が切り替わる区間であり、電車の本数が極端に少ない箇所で長いトンネルが多い場所である。

片山トンネルを抜けると高槻ならぬ高月町を川沿いにひた走る。似たような景色が続き強烈な日差し、微妙な登りも重なり体力的にかなりきつかった。目の前にそびえ立つのが賤ヶ岳である。またしても戦国ドラマ頻出地名である。

8号線に合流し、大音を抜けるとトンネルが見える、いよいよ奥琵琶の難所の始まりである。賤ヶ岳トンネルは700mほどあり長いトンネルである。トンネルを抜けたところにあるドライブインで難所に向けて最後の休養を取った。

奥に見える半島がこれから越えねばならない、葛籠尾崎と竹生島である。極めて接近しているように見えるが、竹生島は実際はずっと遠くにあり、場所の関係重なって見えているだけである。その証拠に竹生島の方が若干ぼやけて見えている。

藤ヶ崎トンネルは1kmを超える長いトンネルである。トンネルの中は車の中で見るほど明るくなく驚くほどに暗い。ライトがなければ足下の状態がわからず怖い。それよりもずっと怖いのは後ろから差し迫る巨大なトレーラーの轟音である。トンネルの中で反響するので、遠くから差し迫る轟音が通り過ぎる10秒前から聞こえる。ジョーズの登場シーンの如く、「ずんずんずーんずーんずーーんずーーんずーーーーーーーーーーーーーーーん」という恐ろしい音とともに通り過ぎ、その後に大風を巻き起こす。その風でハンドルが取られる。気を付けねばならない、一級国道を60〜80km/hで飛ばすトレーラーに接触したら最後、二度とトンネルを抜けることができなくなるのだから。歩道から踏み外さないように細心の注意を払った。

トンネルを抜けると塩津である。近江塩津の塩津だが実際の駅はもっと山の中にある。我々はすぐに303号線に左へと折れた。奥琵琶湖ドライブウェイを回避すべく二つのトンネル越えを敢行した。しかし、そのトンネルまでの坂がきつい。難所である。

普段の儂ならば、百井峠、暗峠を越えた体力で軽やかに登り切れる程度の峠であろう。しかし、すでに130kmほど走ったその足には7%程度の上り坂ですら上るのは厳しい。とにかく死にそうな程きつかった。一つ目のトンネル、岩熊トンネルはまだ良い方だ。トンネル内は平坦か下りなのだから。問題は二つ目の最後のトンネル、奥琵琶トンネルである。トンネルまでの登り坂の一番きつい事は長い直線の上り坂であるという事である。登れど登れど曲がり角にたどり着かない。岩熊トンネルでペットボトルのお茶を飲み干した儂は炎天下の中早くも脱水症状を起こしつつあり、意識が朦朧としてきた。坂を上りきった。やった、トンネルが見えてきた。これで今までの苦労が報われる、そう思った瞬間喜びは悲劇に変わった。最後の峠はトンネルすら上り坂なのである。トンネルは1300mある。薄暗いトンネルを1.3km、しかも上り坂でスピードは10km/h前後、気が狂いそうであった。トンネルの中で死んだおばあちゃんが出てきそうな雰囲気であった。

トンネルを抜けるとすぐに161号線に合流する。ついに琵琶湖を折り返しこれよりひたすら南下することになるのだった。下り坂の中セブンイレブンを見つけ、そこで水分を補給した。

第七章 折り返し マキノ→志賀

読者の皆は、ここまで読んでかなり疲れているであろうが、儂も疲れている。まさかここまで分量が多くなるとは思わなかった。根ほり葉ほり書いているとこうなってしまうようである。ところで、お気づきかもしれないが写真がこの辺りでは用意されていない。何故かはおわかりであろう。写真を撮れるのは所詮、余裕のある時であり、どぎつい峠道の登りだったり、事故った直後だったり、余裕が無い時に写真なぞ撮れないのだ。

161号の峠の下りは直線でスピードがとにかく出た。ペダルを漕がずともスピードが48kmほどでてしまう。そして、スピードはそれ以上上がらない、タイヤの抵抗や体の空気抵抗で終端速度に達したのだろう。路面が荒れてくると速度がそれに伴って落ちる。峠を下りるとマキノである。

マキノ市街で161の行き先の標識を見ると、大津67kmとある。いよいよゴールが見えてきたという喜びとともに、67kmも走れるのかという落胆が交錯した。マキノより再び湖周道路に入る。しかし道は旧道なので歩道は普通の道路程度の整備しかされておらず走りにくかった。途中、車のねずみ取りを行っていた。まず、レーダーで速度を測っている警官がいるのを見つけて、Mと「あれねずみ取りちゃうか」と言っていたら案の定、橋の手前でやってくる車に「とまれ」を差し出して御用となす、官憲の小狡い手口を目の当たりにした。

今津まで走り、今津の平和堂で休憩した。今津の平和堂はかなり多機能なショッピングセンターとなっていた。ジャスコの様に一つの大きなアミューズメントパークになっていて、心地の良い場所であった。

今津から先は再び湖周道路だが、こちらはきれいに整備されている。新旭に風車が見えた。今度の風車は観光用の風車なのだろう。歯車が大きい。ソリディテイ比が大きい風車は粉ひきなどといった力作業にしか使えない。「風車の違いが分かる男KAZ」、どことなくかっこいい響きである。新旭、安曇川、高島を簡単に突破して、161号と再び合流した。161号はバイパスの様な高規格の道を備えていながら自転車に対する配慮が全くと言っていいほどなされていない。161号のネック地帯、高島町、志賀町の境である白髭神社付近は横で60、70km/hで走る車の中で車道を走らねばならない。かなりキツい。今津から20kmほど頑張り、志賀町に入った所で休憩をとった。

第八章 夕闇 志賀→堅田

夕闇が差し迫ってきた。我々は急ぎ京都へと戻る。もはやここまで来ると景色は見たことのある物ばかりで、志賀に到達すれば、あとはすぐに堅田が見えてきて最後には大津に帰還だ。という気持ちになる。しかし、その感覚は車に乗った場合のものであり、自転車のそれとは全く異なる。

JR湖西線の駅、近江高島より南の駅一つ一つが思い試練となってのしかかってきたのである。北小松、近江舞子、比良、志賀、蓬莱、和邇、小野、そして堅田、これらの駅を過ぎるのに充分な時間が必要となる。そうなると儂の中では焦りが見え始める。いつになったら堅田に着くのだろうか、堅田で飯をさっさと食いたい。しかし、走れど走れど見えてこない。

161の自転車に対する扱いは最悪を極め、酷い場所だとトラックが通過するのに自転車が脇へ避けて自転車を降りねばならない箇所まである。これではウチの近所の道と変わらないではないか。中途半端に繁盛している3桁国道、酷道になりきれなかった国道の哀愁が漂う。

特に酷い箇所は北小松、近江舞子、比良の湖西道路に入るまでの区間である。志賀以南はバイパスがあるので(現在は比良まで伸びているが)、通る自動車の質が悪質である(トラック、トレーラー等々。)集落に入ると、道は恐ろしく狭くなり(とはいえ酷道ではないので2車線だが)ぎりぎりの車幅でトラックが通るので自転車の通る余地がない。トラックにクラクションを吹かれ「オラオラ、自転車がちったら走ってんじゃねぇ!!」と言わんばかりに怒鳴られようが自転車にとって他に道がないのである。この道以外にまともに下れる道が無いのが一番悪質な点である。

志賀を過ぎてびわこバレイ前のコンビニで休息を取った後、堅田までのラストランが始まった。もはや堅田は我々に取ってのゴールかの様にすら思える。堅田から高槻までまだまだ50kmもあるというのに。だが、堅田まで行けば何とかなる、自転車で堅田までなら行ったことがあるから大丈夫だ。そういう風に思った。堅田といえば思い出すのが「雪の途中越」である1回生の冬休み、まだ塾講もしていない頃、ママチャリを飛ばして京都から堅田まで走った。帰り道で逢坂、東山越えを嫌い途中越を敢行したあの時、儂はまだまだサイクリング初心者であった。2月の途中は雪が20cmは積もっており、歩道を自転車で走らせるのは無理だった。仕方なく歩いて上ったあの時は、7%の斜度すら恐怖の対象であった。今となっては10%が普通な今日この頃だがあの途中越が儂のサイクリングのアルテミット的な要素の原点となったのかもしれない。軽いサイクリングではなく、生命の極限を希求する究極的なサイクリング。2日で行けば良いものを1日で250kmを走ろうとする精神。1日で走れば儂は伝説を作れる。伝説を作らねばならない、そんなプレッシャーが儂に重くのしかかっていたのかもしれない。

小野まで行けばもう琵琶湖大橋は目の前である。しかし、この時Mに異変が起こった。M曰く「何か走りながら違う世界に飛んでいるねんけど。」儂はただのランナーズハイかと思ったが後で聞いてみると(掲示板に書いているのを見ると)「居眠り運転」らしい。自転車、しかも20km/hは出しているMTBで居眠り運転とは…、見上げた根性である。

艱難辛苦の末、堅田にたどり着いた。ネタの宝庫でありどこからツッコんで良いのかすら分からない「日本の先行者的テーマパーク」あるいは「パラダイス」である琵琶湖タワーが我々の労をねぎらってくれている。このロボットの風景はあまりにも不気味である。今回はさらに、夕方である関係で顔の部分が暗くなっていてさらに怖さが120%程になってしまっている。

途中越の時にも立ち寄った堅田の王将で最後の食事を取ることになる。腹が減りとにかく空腹感でいっぱいだった儂は焼肉定食大盛りという牛飲馬食メニューを注文することになった。

第九章 一周目 堅田→大津

旅も終わりが近づいて来るに従って儂の頭の中には家にたどり着くまでのシミュレーションが幾度と無く繰り返された。そのたびにため息をつくことになる。京都までの2つの峠越え、そして高槻までの長い長い道のり、高槻市街から自宅までの坂道・・・考えるだけでぞっとする。しかし、そこを通らなければ帰れない。とにかく行くしかない、せやけどやっぱりこれから試練が待っているのは確かなんやし・・・頭の中で堂々巡りを繰り広げる。車道を25km/hで飛ばしながら妄想に耽る危険な男KAZ、居眠り並に危険である。

雄琴温泉、関西有数の赤線地帯だが、夜のネオンがなまめかしく照る。右手には比叡山という恐ろしく巨大な標識が見える。比叡山の次には京都の表示が、だがだまされてはいけない。比叡山ドライブウェイを走った後に山中越えというとんでもないコースなのだから。山中越えは1回の峠越えで京都の北白川仕伏町に出ることができる夢のような道路である。しかし峠は険しくカーブも多いと聞く。そんな体力はもはや残されていない。よって逢坂を越える他無いのだ。

比叡山坂本、近江大社の表示と共に山中越えの表示が出る。もうええっちゅうねん、ってな具合に何度も出てくる。しかし、それはゴールが近い証拠である。坂本まで来たらもうゴールの浜大津は目前である。

と思いきや以外に距離があるのが161号線、泣きそうである。JRの駅だと、唐崎、西大津が残っているではないか。まだ5kmほど残っている訳でそれを走りきるならば、15分ほどはかかる訳である。微妙にしんどい。

浜大津にようやくたどり着いた。

ついに、ついに琵琶湖を一周した。あまりのうれしさに「さあ、一周目終了、二周目行くか」と言ってしまう程であった。
午前5時から回り始めて16時間、午後9時ついにゴールしたのである。

もう、私、ゴールしてもいいよね

いーや、マダマダ修羅場が残ってま(w

終章 修羅場 大津→高槻

JR大津駅まで上がり最後の休息を取る。JR大津駅の裏手より上がり国道1号線に入り、161号線の終点にたどり着く。逢坂越の西行は実は初めてで、今までは途中を越えたり宇治川下りをしたりで越えたことが無かったのだが、以外にサクサク進めた。意外なのが峠を越えた後の坂が結構急だったということ。行くときはそれほど大した坂だとは思わず「この程度の坂で苦しむとは」と思ったものであったが、それほどきつくないので意外であった。

京都東ICより、名神沿いの道を入る。名神沿いの峠越え勧修寺の横を抜けて深草に出るルートである。このルートは名神を通すために切り通した為にそれほど険しくない。このルートは買いである。

10:15頃、24号線に出た所で京都のMとはお別れ。長い長い同行であったが、いよいよ最終段階に突入した。京都より高槻までの孤独な旅である。

Mと別れた直後に気づいた。サドルに当たって臀部が痛いのは筋肉痛からだけではないことを・・・今までのサイクリングでかつて無かった最凶の障害が襲いかかったのであった。「股ずれ」ならぬ「尻ずれ」である。

股ずれなら夏によく体験する。だがこれは今回は無い。そうではなくて、尻の皮膚が荒れて細かい傷ができ、そこに汗に浸っているトランクスが当たり、塩でしみて痛いというのが尻ずれである。尻ずれに応急的な処置法は一切無い。家に帰って風呂に入って体を洗う他無い。Mと別れた直後から急に尻ずれが痛み始めた。激痛である。まともに自転車を走らせる事ができない。とにかくつらい。

京都から高槻と一口に言うが京都市街から自宅までは30km以上はある。これはかなり長い距離である。しかも道中は山あり谷ありと変化に富む。24号線から竹田駅へ向かい、踏切を渡って城南宮道を走り油小路を下る。油小路をひたすら下り丹波橋通りを右に曲がり、1号線へと出る。1号線を大手筋まで走り府道13号線に入る。淀競馬場を抜けて納所まで走り宮前橋を渡る。淀水垂から川沿いの道を走りゴミ焼却場の横を走り171号に出る。建設中の大山崎JCTを抜け、大山崎町内の集落を抜けて旧西国街道府道67号線に入る。旧西国街道を島本町、高槻市とひたすら走り、市街地まで走る。この道中を走り抜けるのは恐ろしく面倒な事である。

普段、日の高い時間帯に通る時は周りの風景を楽しみながらゆっくりと帰ることができるのに夜も更けてきた状態となっては、車に認知されずに事故られる可能性、暴走族に絡まれる可能性、道中で自転車にトラブルが起こる可能性、体調に変調を来す可能性、あらゆる危険性が伴い、命をかけた帰路となったのであった。事実171号を走るとヤンキーの2人乗りバイクが走っていて冷や冷やものであった。もはや琵琶湖よりも何よりも修羅場である。

家にたどり着いた頃には精魂尽き果てすべての力を出し切って真っ白になっていた。風呂に入り体をさっぱりさせた後、すぐに床に就いた。これで本当にこの旅は終わったのだった。

ゴールッ

♪あの海〜青かった〜続いてた〜遠くまで〜

付録 走行データ

走行距離(二日分、1日目は52kmぐらい) 295.04km
走行時間(二日分、1日目は3時間ぐらい) 14:45:51
平均速度(二日分、1日目は19.5km/hぐらい) 20.0km/h 

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