「エコノミスト ミシュラン」 田中秀臣、野口旭、若田部昌澄 (太田出版)
政治と経済は表裏一体ですよね。衆議院選挙が終わって、この本を紹介するのは非常にやりづらいです。この本は今の日本の経済状況をどう判断してどういうマクロ経済政策をとれるか?とるべきか?とることができるか?といった政策提案の経済学者たちの論争をリフレ派の人たちが整理して、公共の場(書籍という形で)という”まな板”に掲示したものです。選挙で絶対安定多数を確保した与党が、「構造改革」をまい進するのはしかたがないが、リフレ派が言っているようにいまのマクロの経済政策(構造改革)がまちがっていたら、これから国民としてはかなりつらい未来を経験しなければなりませんね。
ウィリアム・バロウズ。この名前を聞いた事がある人は、いまじじいやばばあでない人なら結構いるんじゃないかな?でも、いったい誰で何をしてそんなに有名なんだかを知っている人は少ないと思う。ちょっと不思議な人物だ。ぼくも訳の分からん映画「裸のランチ」の原作者で知ったのが初めてだったし、実は彼の小説は一つも読んだことがない。(とても読めるしろものじゃないらしい。)山形浩生は学生時代に随分バロウズにのめり込んで”訳の分からん”文章を読みこなしたんだ。(本書のバロウズのカットアップ文の解読は圧巻(あきれる)!)山形は「たかがバロウズ本」を自分のやってきたことの一つの締めくくりとして書き上げてる(これは売れないけど出版できればラッキー!)。いまの日本は20世紀のいけいけどんどんから鋭利な選択の時代に向かっているような気がする。ほんとうに価値のあるもの、そしてその価値を見抜く力が問われているように思う。機会があれば読んで欲しいと思う本だが、山形浩生(英語ペラペラ、コンピューターバリバリ、建築しってる、経済せんもん、文学よみよみ、科学好き)を知らない人にはちょっと濃い口かも…。
「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」 ジョセフ F スティグリッツ
マクロ経済を主体に世界規模での(普段聞き慣れてる国家レベルをこえての)、グローバリゼイションを、事務的に担当しているIMF(国際通貨基金)、WBO(世界銀行)、WTO(世界貿易機関)の主義主張が、いかに科学的にイデオロギー的にまずくて、その大義名分に(世界規模の経済や金融の安定と発展?)則していたつもりで、1990年台の世界規模の経済不況と国家レベルの再構築に失敗したかが如実に記載されている。ぼくには経済学的な視点での評価も意見も言えないが、ここに書かれていることを事実と受け取るなら、素人レベルでいいからアダム・スミス、マルクス、ケインズ、そして今のマクロ経済の主流と動向ぐらいは、概略ぐらい知っておくべきじゃないだろうか?ここの記載がもし事実なら(それはノーベル経済学賞のスティグリッツが嘘つきじゃなっかたら)ハッキリ言ってえげつなすぎる。どこのどいつ(アメリカ)が偉いのかしらないが(これが事実だろうけど…)、これが本当なら罪が大きすぎるゆえに、市民((地域に根ざした住民=経済的で人道的な弱者)であり民主的で資本主義的にはたよりにならない資産(僕の勝手な思い込みかも…))の正義(貧困と雇用や公衆衛生や社会保証や教育や地域社会文化など)理解せずにゴーマンにグローバリズムを推進するIMFやその他の民主主義の国際機関は、スティグリッツの言うように思慮深く調整されるべきでしょう。
もう古い小説になってしまったが、瀬名秀明のベストセラー小説「パラサイト・イブ」を読んだ後にすぐ、このノンフィクション「ロボット21世紀」を読んだ。「パラサイト・イブ」はドーキンスの「利己的な遺伝子」からの従来の進化論を遺伝子やゲーム理論でより科学的に前進させた理論と、当時世界的に考古学でミトコンドリアDNAによって突然変異パターンの解析で数千年(数万年かな?)?の変化が確定できる科学的理論をジャンプ台にに瀬名の前頭葉から化け出たフィクションだ。でもこの「ロボット21世紀」は出版社から持ちかけられたらしく”なぜ僕が…?”らしい。瀬名と同とじように考えてみよう。”ロボット?”って巷で流行っているけどASIMOやAIBOや人口頭脳(映画では”アンドリュー”とか”AI”)なんだろうけど、一体なんなの?ぼくが勝手に想像する鉄腕アトムなの?技術の集積は判るけど、その個々の技術ってどんなレベルなの?なんでヒト型なの?将来、どのくらいどの分野で具体的にどうやって役に立つの?って言ったことを、関係者たちから取材して自分(ぼく)の疑問を少しだけ一緒に解いてくれる執筆になっている。
うーん。綿密な取材だ。いかにも女性らしく(ここまで聞きまくるか?!)、ヒヤリング主体の取材を基にナッシュの人生を(主観的な解釈を加えて)ドキュメンタリーに仕上げている。(ぼくが男のせいか?)読んでてちょっとイライラするぐらい、すごく詳しく関係者の取材とナッシュの行動を時系列に整然とドキュメントしてある。さすが映画化されピュリッツァ賞(伝記部門)最終候補になるだけのことはあるなって感じです。ジョン・フォーブス・ナッシュはゲーム理論で有名なナッシュ均衡のナッシュです。彼がプリンストン大学で頭角を現し、その後30年以上に渡り精神分裂症に苦しめられて後に、40年経ってゲーム理論でノーベル経済学賞を受賞したのだ。奇行や虚言が多くなってきて1959年のある日、数学者が集まる談話室に来て「ニューヨーク・タイムズ」の一面の左上欄を指さして、宇宙人か?がぼくにだけ解るメッセージを暗号化して送っていると、言った時から精神分裂症による家族を巻き込んだ人生の崩壊が始まる。ナッシュの苦悩の生涯も壮絶だが、序章での戦後のアメリカにおける数学や科学のプリンストンやMITでの高揚と繁栄もよく解っておもしろいよ。
この本の主題は、第2次世界大戦後のイギリスを初めとして、世界規模で行われてきた集約的農業や養殖漁業が先進各国の食糧政策のもとで科学技術を利用して産業化してきた結果、農薬・化学飼料・抗生物質などをばら撒き続けてきたことへの反省(結果としてのBSEの恐怖)と、バイオ食品の警鐘と、自然の生態系に基づいた有機農業の可能性に着目している。著書を食べる消費者の立場だけで読むと、何も食べれなくなってしまうが、食糧を作ることを行政指導したり安全保証したり実際に作る立場に立って考えてみると、非常に有益な内容になっていると思う。今回の農水省のBSEの対応を見ても、日本でももっと消費者団体がこういった本に刺激を受けて政治や食糧業界に、安全性や保証で圧力をかけた方がよさそうだ。
一応、最後まで読んだけれど、アインシュタインの相対性理論でさえ難しのに、量子力学の不確定性原理なんてほとんど理解できていないのに、無理して読めばいまの理論物理の最前線まで(理解は別にして)一気に(表面上は)たどり着ける。ひも理論がM理論が”ふんふん…”てな感じだけだけど、触りだけ分かった気にはなれる。本来、一般人には理解できっこない理論物理学の世界を、できるだけ一般人にも理解できるシンプルな例題を使ってちょっと一般人以上の理解を誘ってくれる本としては、最高だね!ただ、この本が予言するように、SFを超えてしまって万一究極理論を確立できたとき、人類の文明的な進歩に生かせるのか?(逆に破滅的な人間の私的な欲望の手に利用されかねない)って気がする。先に読んだ「千の太陽よりも明るく」を読んだせいかもしれないけど、昨今の日本や世界の公害や環境汚染をはじめ政治汚職や企業汚職なんかを、これだけ見せつけられればね!?
長い!そして短い?物語です。読んでも読んでも次々出てくる民話風の登場者やその世界がどんどん繋がりをもって広がって、よくここまで大きな舞台を作ったなあと感動させられる。しかし、長時間かけて読み終わった時に、なんだか指輪戦争を中心とした展開だけではもったいないようにも思えるから不思議だ。確かに大人でも楽しめるファンタジーではあるけど、心ときめく寓話にええ年のおっちゃんが読むより、やはり中学生や女子高生が読んでいた方が似合いそうだ。しかし、まだ観ていないが映画の方はかなりいい出来らしく、ぜひ御覧頂いたほうがよさそうです。原作を読むとこんなでかい物語を映画の中に納め切れるのかな?と思うけど、いろんな映画評論でイイ線で成功していると書いてある。その技巧に大人らしく感動する方をおっちゃん達には薦めます。
40年以上も前に書かれた本だが、科学には素晴らしい知的想像と人間にとってプラスの技術革新をもたらすが、一方でマイナスの結果(今で言う負の遺産でいいのかな?)と責任(良心に対しての…呵責?)がつきまとうことを、原爆と水爆を造り出すに及んだ科学者たちの過程のドキュメントだ。読み終わった時点でも、人間ってそんなに優秀な頭脳と分別を持った科学者(賢者)でも政治的(低俗なイデオロギーやナショナリズム)な社会構造(ただの人間関係)によって、人間の良心(道徳?)を簡単に無視できてしまう事実が信じられない気分がする。でも筆者が書き出した人間の弱さ(過去の経験)を克服しないと科学の未来に不安を抱くことになる。いま国際間で協力しあっていろんな平和と人道と環境と題して不確実な協定や取り決めをしようとしているのは、こういった背景があるんだと再考するために再出版された本だろう。
経済学は大学の教養課程で概論じみたものを習った程度で、自分でとくに勉強もしなっかたけど、確かずいぶん難しい(数学を駆使した)理論じみたものだったように記憶している。社会人になってから読んだ「大国の興亡」(ポール・ケネディ)とか「ゼロ・サム社会」(レスター・サロー)なんかは、現状の社会に合せて万人に分りやすく経済を語れる人たちはすごいんだろうなあっと思っていた。実際、日本のマスコミもこんな人たちを取り上げて日本の政治や経済について真面目に討論してたじゃない。この本読んだら目からウロコじゃん。この本を買う前に「中央公論」の2002年1月号を無くならないうちに買っておこう。日本の経済政治政策にざっくりメスを入れているし、御親切に処方箋まで教えてくれているよ。この本読んだら次は「クルーグマン教授の経済入門」を読もう。経済学を素人が語るのがどれだけデタラメかがよく解って、自分への戒めにもなるよ。
ブライアン・サイクスは、イギリスのオックスフォード大学の人類遺伝学教授である。「アイスマン」の発見と彼のDNAが抽出、分析されたことはメディアを通じて記憶されている人も多いだろう。サイクスは若い時に(研究者としては)ラッキーにもこの実験に直接関わっていたらしい。そして興味とアイデアが触手になったのがミトコンドリアDNAだ。そして、従来の考古学で体勢を占めていた「ヨーロッパ人は近東から移住した農民」という定説を遺伝子理論からくつがえしたんだ。以前は中石器時代のヨーロッパの狩猟採取民が新石器時代の農民にのみ込まれたというのが遺伝学、考古学、言語学共に定説になっていたそうだ。つまりヨーロッパ人の祖先は新石器時代に農耕の文化を持った人間の民族移動(血統的にも)で近東の混血でおおわれたと認識されてきた。ところがサイクスは遺伝子を調べ上げヨーロッパ人の8割はヨーロッパに新石器時代以前の狩猟採取民を祖先に遺伝子的に持っていることを論破したんだ。特に科学的に大きな仕事でもないけど(そのうち誰かがやってた…)、本として出版されるのを意識してDNAを知らない人でも読めるぐらい解りやすく書いてあるんで読み易いよ。
サイエンス啓蒙書であり、最新の生物進化学だ。ドーキンスの名前は聞いたことがあったが(「利己的な遺伝子」で有名)、彼の本をいままで読んだことがなかった。翻訳書を読んでいるだけなんだけど、すごく説得力のある文章になっている。(訳者がうまいんだろうけど、きっと原文の英語も切れ味がいいんだろうなあ。ぼくには読めないけどね。)内容については、専門的であることとドーキンスの論理に客観的でいたいので考察(実は知識が貧弱で下手に書くと彼に傾倒したお世辞しか書けない。)は避けたいので、本の訳者のあとがきを参考にすることをお勧めします。ちょっと独善的に論じ過ぎる気がしないでもありませんが、読んで損はない本であることはまちがいないと思います。(ぼくはすでに「利己的な遺伝子」を買って置いてあります。)読み終わって引っかかるのが、「科学は役に立つのか?」という疑惑です。森山さんが言ったように「それは世界が広がったような、素晴らしい感覚だ。だが確かに、経済学やMBAのような意味で「役に立つ」ものではない。いわば、音楽や絵画が私たちの生活を豊かにするのと同じような意味で我々の心を豊かにしてはくれるけれども。では科学も、現在、芸術科目が追いやられているような授業時間で十分なのではないか? これに対して有効に反論するのは、意外と難しいように思う。」が、2002年新学習指導要領の問題も併せて考えさせられる。
「寄生虫」って聞いて誰もが思い浮かべる回虫やサナダ虫から、具体的にパラサイト の実体と本質に話を進めるのかと思ったら、意外に”トリパノソーマ”(睡眠病)と いうマラリアの病原菌である”プラスモデュウム”の仲間である真核細胞の原生動物 の寄生虫からいきなり始まる。それは彼の専門に違いないが、専門の生物学的な話は せずに、一般的に関心がもたれる病理医学的な視点から読者の興味の引き付ける。出 版前にかなりかれ自身の内で序説のオーサリングは出来ていたんだと思う。以後、病 理医学から誘って生物学的なパラサイトの科学的な実証例や仮説といろんな研究者の 実証を追う。本の半分ぐらいまでは読者の知らない世界が展開して一気に進む。パラ サイトの現実とその脅威を感じながら、後半、彼は読者に一緒に考えようよと話を進 めるからやっかいだよ。せめてDNAがなんなのか、細胞組織の仕組みや最近の生命の 起源なんかに興味がないと読んでてつまんないかもしんない。でも、この本から、寄 生虫に限らず自然科学の観察や研究のロマンを感じたり、生命の本質に迫ってみたい という想いをもってくれる若い人が1人でも増えれば、(ぼくだけが抱くのか解ら ないが)現在の遺伝子工学に片寄ったバイオテクノロジーが暴走するかもしれない危 惧を少しは取り除いてくれそうな気がする。それにしても、「活かさず殺さず」の毒 力の法則って説得力あるなあ。
おっもしろい。あっという間に読めちゃった。数学は厳格な論理によって構成さている。ゆえに歴史上でも現在でもその論理の進退が起こりうる。たとえば疑いのないような定理だって、新たな数の不思議が発見あるいは定義できれば土台ごと崩れさる運命に常にさらされている。論理によってアクロバット的な均衡を持って、がちがちに組み上げられたガラスの積み木のお城みたいなもんだ。また人間の宇宙観であり、人間の自然に対する冒涜(挑戦)であり、人間の知性の本質だ。なんて大袈裟に書いてしまうのは、一種の興奮状態に陥ってしまった凡人によくある現象と思って笑い飛ばして下さい。
この本は、10歳の少年アンドリュー・ワイルズが、17世紀の天才へんくつフランス人数学者ピエール・ド・フェルマーが残したメモ(”ピュタゴラスの X^2 + Y^2 = Z^2 をもじって”「3以上の自然数nに対して、X^n + Y^n = Z^n を満たすような自然数X,Y,Zはない。」をぼくは証明したけど、余白がないから書けない。)に好奇心をかき立てられて30年後の1995年についに、3世紀もの間誰もが挑戦しては挫折した悪魔の定理を証明した逸話をもとに、紀元前6世紀のピュタゴラスをはじめ、人間が数学するエポックやエピソードをまじえて書かれた数学史です。BBCのドキュメンタリーをもとにて書かれて、サイエンス本としては珍しく1999年か2000年にイギリスでベストセラーになったらしいです。日本での初版から一年以上経ってますが、いまならまだ書店にあるかもしれないので、お勧めです。
これは膨大な人類史であり、ダイアモンド博士が指摘しているように、「歴史は、民族によって異なる経路をたどったが、それは居住環境の差異によるものであって、民族間の生物学的な差異によるものではない。」ことを証明している。文化人類学や生物学や言語学などの専門家が、「ここはちょっと違うぞ。」とか言えても些細な指摘にしか過ぎないだろうと思ってしまうぐらいにスケールが大きい。以前、岡田斗司夫ちゃんが「ぼくたちの洗脳社会」で、これからの世代は科学を信用しないとか言っていたが、この本でも読んでみればいいのに。科学を否定したら、やっぱり進歩がないんでないの?「好き勝手な小グループ同士で洗脳しあうの」なんてやっぱり幼稚すぎないか?確かにそんな風潮はあるかもしんないけど、文化や個人を大きく進歩させるのはやっぱり科学しかないんじゃないの。
本来ならば、「LINKS」の「建築」に追加すればいいのでしょうが、あえてここに紹介させていただきます。
斉藤昭彦アトリエ
(2001.03.28)
モンゴルにいる間に、キリスト教聖書についての訳書の解説を書き上げて、その中でふれたバーナード・ルドフスキー『さあ横になって食べよう』(鹿島出版会)を実家においたままなのを思いだす。そこで、帰国してからルドフスキーの本を全部まとめて注文。手に入るかな。ルドフスキーの本はすべて、建築家としての目と、鋭いフィールドワーカーとしての目とが組み合わさったすばらしい本ばかりなんだけれど、特にこの『さあ横になって食べよう』は、すごい。ルドフスキーは、聖書のほんの一行の記述を疑問に思って、当時のパレスチナの食習慣を見直すのだ。そしてわかったこと:当時のパレスチナでは、人はテーブルで椅子にすわってものを食べたりしなかった。ごろごろねっころがってごはんを食べたのだ。だから、あのダヴィンチの『最後の晩餐』の絵とか、まったくちがうのね。ぼくあこれでキリスト教観が変わった。ほかにも『みっともない人体』のファッションの考察とかは鋭いし、日本論も秀逸。いまのうちに入手しといたほうがいいよ。
「民家の自然エネルギー技術」 3月10日刊行
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