容喙
Telephone Box

 

「……そうそう、あいつそういうとこあるもんなあ。それに関してはお前が正しいと思うで」
 サトルは横断歩道で信号が青になるのを待ちながら、銀色の小さな携帯電話に向かって話をしている。
 特に携帯電話の使用が禁止されている場所というわけではないが、やはり公衆の面前で一人、大声を出している茶髪の若者は見た目がよろしくない。側に立っている中年の男がサトルをじとっとした目で睨み付ける。
 サトルはしかし、その目に気付いてもひるむどころか、「強面」と自覚しているその顔で、太い眉をしかめてぎろりと中年男を睨み返した。しかしその口元は相変わらず笑っていて、その表情はかなり不気味だった。中年男は思わず咳払いをしながら目を逸らす。
 サトルは改めて携帯の向こうの友人との会話に意識を戻した。
「けどなあ、大体、ヤリマンやてわかってる女と付き合うお前もどうかと思うで。……え? はははは」
 下品な話に、近くにいたOLが嫌な顔をしてサトルから離れた。
 信号が青に変わった。人々は足早に横断歩道を渡り歩く。サトルはその一団から一人離れて、道路を曲がり、相変わらず大声で話を続ける。
 日は既に暮れかけている。夏がそろそろ終わりを告げると同時に、日が沈むのも早くなっていく。
 周囲には無人の貸しビルが増え、人の姿も少なくなっていく。その分サトルの傍若無人な大声も目立っていく。
「えーと、あいつ、あれ誰やったかな。……ああ、カヨコや。この前のコンパで一番うるさかった女。あ、そうそう! “がま口”女! え? “がま口”が? 何したって?」
 ―と。
「……あ? あれ?」
 急に友人の声が聞こえなくなった。電波が悪くて通話が途切れてしまったのだろうか。
 舌打ちしつつ液晶を見ると、画面には何も映っていない。ということは、電池切れに違いない。
「……はあ? なんやねん、こんなとこで……」
 ひとりごちて、携帯を鞄にしまう。
 コンビニがあれば、そこで携帯バッテリーを買って、充電できるのだが……そう思い辺りを見回すと、ついさっきまで自分が歩いている経過をほとんど意識していなかったため、なんだかよく分からない場所まで歩いてきてしまったようで、目の前には全く見知らぬ景色が広がっている……。薄汚れたビルが雑然と建ち並ぶばかりで、コンビニどころか、人の気配さえしない。
「迷った……」
 ため息まじりに呟いたが、それ以上慌ててもどうしようもないし、何より、先程の友人との会話の続きが気になって仕方ない。
「なんやねん、“がま口”が何してん」
 本来ならそんなくだらない会話の続きより、まず迷ったことに対して考えを巡らさなければならないのだが、不幸にもサトルはあまり頭が良くなかった。
 サトルは元来た道を戻ることもせず、進行方向に向かってまた歩き始め、何かを探し求めてうろうろと視線を彷徨わせる。
 そして、目的のモノを見つけて、一直線にそこへ向かっていった。

 道路脇にぽつんと立つ、さびれた公衆電話のボックス。

 産まれてから20年。小学生の頃から携帯電話を持ち歩いていたサトルは、公衆電話など片手の指で数えきれるほどにしか使用したことはない。仕方なく、ボックスの中に入ってみたものの、一瞬使い方がわからなかったほどだ。
「そうや、10円いれなあかんねや」
 呟いて、財布から10円を取り出す。入れる。が、10円はすぐに、音を立てて硬貨取り出し口に落ちてきた。眉間に皺を寄せつつ、もう2度ほど同じ作業を繰り返す、が、結果は同じだ。
「……くそっ、壊れとんのか?」
 忌々しげに電話を拳で叩いた。
 と、ふと考えて、今度は受話器を手にとってから、10円を入れてみた。
 10円は無事機械の中におさまり、 耳元で、ツーという機械音が聞こえてきた。
 ほっとして、先程の友人の携帯の番号を押そうと、プッシュボタンに手をのばす。
 ……が。
「……番号、わからん」
 番号は、携帯のメモリの中に保存されていて、サトルの頭の中には保存されていない。覚えている筈もない。
「……くそっ!」
 乱暴に受話器を戻して、サトルは重いため息をついた。
「ああ、狭い! こんな狭いとこもう一秒たりともおれんわ!」
 訳の分からないことを叫びながら、ボックスの扉を開けようとした。その時。

「あのう」

 細い声がした。
 そして、サトルのジーパンの裾をつかむ何かがあった。
 人間の手だった。
 手だけのお化けだ、サトルはそう判断した。
「わあ!」
 サトルは素っ頓狂な声をあげて、手をふりほどこうと足をばたつかせたが、そのかぼそい手は思いの外力が強く、なかなか裾を離そうとしない。
「すいませんけど、ちょっと動かないで下さい」
 か細い声が続ける。
「コンタクト、落としてしまって」
「はあ?」
 手のお化けに、コンタクトは必要なものなのか。そう思いつつ、よくよく見ると、サトルの足下、公衆電話を置くための台と床の間の少しの隙間に、ぎゅうぎゅうに詰まった人間らしきものが、いた。
「わああ!」
 違う意味でびっくりして、またサトルは叫んだ。
「なっ、なんやお前!」
「すいません、コンタクトを……」
 ぼそぼそと呟きながら、その人間らしきものは、ずるずると、電話の下から這い出てきた。
「コンタクトを、探してて、床に蹲っていたら、あなたが、私に気がつかずに、ここに入ってきてしまって、私、この下に追い込まれて、それで、あなたが出ていくまで、待っていようと思ったんですけど、あんまり、動かれると、コンタクト、踏まれてしまうかもしれないし、それで、あの、コンタクト、見つかるまで、ちょっと、動かないで待ってて欲しいんですけど」
 そんなことをゆっくりとした調子で言いながら、その人物はのったりと立ち上がった。狭い電話ボックスは、更に狭くなる。
「おい、何で立ち上がるねん……」
「あ、はあ、あの、あんまりずっと、窮屈な態勢でいたので、疲れちゃって」
「はよコンタクト見つけろよ!」
「はあ。すいません」
 よく見るとそれは、若い女だった。しかし、真っ黒な長い髪に顔のほとんどを覆われ、まるで常套的なイメージどおりの幽霊だ。
 サトルはいらいらが募り、遂に、
「もうええわ。俺は出て行くからな。俺が出てからまたゆっくりとコンタクト探せ」
「あ、あんまり、動かないで下さい」
 サトルは無視して、腕をぶっきらぼうに動かし、ボックスのドアを開いた。

 いや、開こうとした。

「……あれ」

 がたがたと、ドアを押してみたり、引いてみたり、横に引っ張ってみたりする。

 だが、ドアはびくともしないのだった。

「………………開かない」

 サトルはそして、狭い電話ボックスの中、見知らぬ不気味な女と二人、閉じこめられてしまったのだった。

 

 

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