「変なモン、写ったぞ」

 奴は低い声でそう呟いたが、それは決して怖がっているわけではなく、むしろしてやったり、と言った感じだった。

 僕は差し出された写真を受け取る、そして、愕然とする。

「…ほんとだ、マジ?」

 意味不明な言葉を吐いて、僕は立ち尽くした。

 けたたましいフラッシュによって暗闇からボワッと押し寄せるように浮き上がってきた景色。
 それは不気味としか言いようのない、何もなく、その何もなさが最も不気味な、しかしそこは廃墟なので
何もないのは当たり前なのだが、とにかく、「廃墟」という単語から連想するにふさわしい灰色の壁と床と天井、
ぽっかりと口を開けた扉のない出入り口、その中央に、恐怖に引き攣れたどうしようもなくブサイクな顔を持った
中背中肉の身体―要するに僕がいる。

「まあこの写真で何がオソロシイかと言うと、お前のビビリまくった顔が一番ホラーだけどな」
 奴はそう言ってゲタゲタ笑う。僕はソレを無視して手にした写真に食い入った。
 ―怖い写真だった。
 ひねりもクソもなく、怖い写真だ。
 つまりそれは、「心霊写真」というやつだった。

 廃墟の一室の中央で顔を歪めている僕の、頭のてっぺんの近く。

 それはしっかり写っていた。

 ―靄だ。

 白い、揺らめくような、逆に凝り固まったような、フシギな煙のような、真っ白な靄。靄の範囲はかなり大きく、
僕の頭よりも大きくて、ともすれば僕の頭に覆いかぶさって僕の頭が白く塗りつぶされてしまうほど。
「見る奴が見たらまあ、フラッシュの加減だとかただの霧だとかほざくんだろうけどな、でも、なんか、
この写真マジでヤバくね?」
 奴は呟いて、僕と頭を並べて写真を覗きこむ。
「なんかさ……なんかしんねえけど、ビビるだろ?」
 本当になんにもわからない言葉だったが、僕は、実際にこの写真を見てしまっている僕には、わかった。
 なぜか、ぞっとする。
 この靄が僕の頭を背後から丸呑みにしようとしているのと同じく、今僕の後頭部に、何か、
得体がしれないけどとにかく威圧的なモノが今にも覆いかぶさってきそうな―もっと恐ろしい言い方をすると、
「喰われてしまいそう」な、そんな寒々しい想像が容易に出来る恐怖。
「……だからやめとこうって、言ったんだ……」
 僕は情けなく弱々しく、呟いた。
 しかし後悔先に立たず。覆水盆に帰らず。英語で言うと……忘れたが、とにかく僕は、激しく後悔をした。

 

 

 奴と僕は幼馴染というやつで、僕は自分で言うのはなんかイヤだが割とネクラな性格だ。
 反対に奴はまさに竹を割ったような豪快な性格の男で、正反対なのがいいのか僕たちは昔馴染みと
いうのを差し引いても気が合い、高校に入ってからもずっとツルんでいる。
 なんとなく世界から一歩引いてるような僕を、現世の真っ只中に無理やり連れ込み引きずり回すのが
奴の役目のようなもので、けれど決してその行動が不愉快なわけではなくむしろ歓迎していた。
 でも、あれだけは、僕は絶対的に反対したのだ。
「廃墟に肝試しに行こうぜ」
 奴はバカの顔で笑いながら言った。
 廃墟に肝試しに行くことに、何の意味があるのか。勇気がつくわけでも、楽しいわけでもない。
 怖いし、だるいし、何より意味不明だ。そんなことを好き好んでするのはバカだ。
 そういうわけで僕は珍しく奴に反抗した。が、奴は普段からそうするように、僕をなだめたりすかしたり
笑わせたり急に怒ったり殴りかけたり謝ったり泣き真似をしたり結局最後に言うのは「お前、そんな態度
ばっかとってると、人生が暗くなるぞ」という嫌な決めゼリフで、僕は、ほとんど事前にレイプされることを
承知する心境で、肝試しに行くことになった。

 

 

 奴が選んだ第一回肝試しツアーの場所は、電車を二つ乗り継いで徒歩20分かかる田舎町の中の、
小さな元・動物園だった。
 それまでも民家は転々としか存在していなかったのに、次第に民家すらなくなって、歩いているうちに
いよいよずっしりと水を含んだような不安に圧し掛かられ、そして、たどり着いて絶望した。
 奴が意気揚々と「ここだ!」と示したそこは、周囲1キロほどを鬱蒼とした草むらに覆われた、
明らかに「怪しい」雰囲気漂う、申し訳程度の「建物」めいたもはや瓦礫の山のような廃墟だった。
「なんでこんなとこがあるって知ったんだよ?」
「ネットで検索したんだよネットで。いやーネットってほんと便利だよねーん」
 バカみたいな口調で奴はざくざく草むらを踏み潰して、入場門…というにはあまりに粗末な
ただの壊滅的に錆びた鉄くずの塊を押しのけ、無遠慮に中に入っていった。
 僕は置いていかれるのが怖くて慌てて奴の後を追う。
 元・動物園と聞いたが、敷地の面積は恐ろしく狭く、一体どんな生き物が見世物としてここを
占拠していたのか想像できない。それでも一応想像して、ここに象を1頭配置してみると、
それだけで3分の1の面積を占領されてしまった。たぶん象はいなかっただろうな。いや絶対。
 しかし動物園だっただけあって、小さいものや大きいもの、様々な檻が、檻の残骸があった。
 辺りは既に薄暗くなってきて、隠れかけている夕日が檻達のシルエットを水飴のように長々と
引き伸ばし、その光景は、僕の萎縮した心臓をそのまま停止させてしまいそうな薄ら気味悪い
印象を与えた。
 奴は僕の前を無心な背中で歩いている。手にした大型の懐中電灯の出番を、今か今かと
待ち焦がれるようにせわしなく腕を振る。
「あ、プール」
 奴が立ち止まって指差した先には確かにプール……ペンキがボロボロに剥げて水色部分が
汚らしくなってしまった無機質なコンクリート製のプールがあった。
「何がいたんだろうな。アザラシ? ペンギン? 白熊!?」
 いねえ、いたはずがねえ。
 僕はそう言いたかったが、奴の横顔が本当に嬉しそうに目を輝かせていたので、なんとなく、やめた。
 薄暗い動物園の廃墟は、本当に不気味で恐ろしかったが、奴が隣にいると思うと、
少し―少しだけ、楽で、楽しいような気もした。
 「冒険してる気分」が高揚してきた。奴は準備よく持ってきた使い捨てカメラのシャッターボタンを
何回か押していた。僕は奴の後に続いて、しばらく探索を続けた。
 だが、この冒険の一番の目的は、「肝試し」だったのだ。
 そう気付いてにわかに気持ちが沈み、恐怖心がよみがえってきた頃には、既に辺りは真っ暗で、
奴が持ってきた懐中電灯が大活躍していた。
「―ここ」
 急に立ち止まった奴の背中にあやうくぶつかりそうになりつつ、僕も立ち止まり、その建物を見た。
 そこだけ、なぜか、他の場所より崩壊が酷くなかった。
 何の個性もない、ほぼ真四角のコンクリの建物。―だが、この絶滅した動物園の中にあっては、
ただ一人だけ支配を免れた超越者のように、王のような異彩を放っているかに見えた。
「ここ、なんか変な感じしねえ?」
 奴はさも浮かれたような口調で言って、僕が何か言う前に、扉のないぽっかりと開いた出入り口に
入っていった。
 僕も続いて入ったが、建物の中は、月の光もほのかにしか差し込まない故に正真正銘の真っ暗闇で、
懐中電灯の明かりがないと何も見えない。
 だが、光を照らしてみても中に何があるわけでなく、視界に入るのは、建物の外壁と同じ灰色の
コンクリートだけだった。
 見知らぬ地の暗闇という状態が、僕の冷静さを奪い、何が起こるか知れないという不安が恐怖に
すりかわって僕の心を襲うが、錆びれきった動物園の中で一つだけ違う雰囲気を漂わせる建物が、
思ったよりも普通だったことに、僕はなんとなく残念なような気持ちにもなった。―だが、

 突然、僕の視界が、真っ白になった。

 あまりの光に、僕は、心臓が止まりそうなほど驚いた。目を見開き、口元が引きつった。
 叫びそうになったが、びっくりしすぎて声も出なかった。

 僕は、見た。

 光の中に、

 ―何かがいたのを。

「な、な、あ、お、おい!」

 目が眩んでより深さを増した闇に怯えて、僕は情けない声で側にいるはずの奴に声をかけた。
 すると、

「―ギャハハハハ!!」

 悪魔のような笑い声が建物の中で反響し、暴れて、そしてゆっくり霧散した。
「な……」
 僕が絶句していると、奴が懐中電灯を僕の顔に向けた。僕からは奴の顔ははっきり見えなかったけど、
明らかに奴は笑っていた。
「いやー、今の顔、ケッサク! 現像すんのが楽しみだなー」
 さっきの光は、どうやらカメラのフラッシュだったようだ。
 馬鹿馬鹿しい真相に気付いて、僕は脱力し、次第に怒りの感情を思い出した。
 僕は一言「―帰る」と言って、建物を出た。
 もはや僕は恐怖など都合よく忘れ去って、バカにされた怒りと、あんなことで失禁しそうなほど驚いた
自分の情けなさ加減に対する怒りとで真っ赤になりながら、奴の静止の声も無視して歩き続けた。
 結局動物園を出た直後に奴に肩を掴まれて、しつこいほど謝られたりなぜか逆にキレられたりしたりして、
僕と奴はあんまり会話を交わさないまま、二人で夜の電車に揺られて帰った。

 

 

 それからしばらくは学校でもあまり顔を合わさなかったが、写真が出来上がり、問題の写真が見つかり、
奴はわだかまりなどまるで何もなかったかのように、僕に声をかけてきたのだ。
「肝試しと言えば心霊写真の一つでも撮っとかないと男じゃねえよな」
 奴は意味不明なことを言いながら僕の手から写真を取り上げた。
「ま、写真は写真だって。あんまり気にしなくてもいいでしょ」
 だったら、最初から見せてくれるな。
 そりゃあ、奴は気にしなくても生きていられるだろう。だけど。
 僕はそうはいかない。
 謎の靄は、僕の頭の上にあるのだ。
 今も、僕の頭の上に漂っている気さえするのだ。

 ―気味が悪くてたまらなかった。

 

 

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