瑞希から久しぶりの連絡をもらって、私のマンションの近くにあるバーで落ち合うことにした。

「わー久しぶり〜!! すっごいなんか、変わってない? 雰囲気。大人っぽくなったってゆーか、落ち着いたっていうか……」
「え〜そうかな? サイ子はあんまり変わってないね。や、ネガティブな意味じゃないよ。相変わらず可愛いってことね」
 瑞希のフォローは軽く流して、とりあえずカクテルで乾杯して昔話に花を咲かせることにした。て、言っても昔の話なんてすぐに尽きるし、さして共通の話題もないモノ同士が盛り上がれる話って言ったら仕事の愚痴か異性のことしかないんだけどね。
「私も今年で25だしぃ〜、そろそろ身を固めたいなんて思っちゃうお年頃なんだけどぉ〜」
 情けなく管をまいてしまっているのは私。
「サイ子ってフリーターなんだっけ? 就職しないの?」
「うん。一所にいられないってゆーか。瑞希知ってるよね、私が幽霊みる体質なの。やっぱりねえ、どこ行ってもいるんだよね幽霊って。もう100パーセント。そういうの気付かない人には無害なのが多いけど、私がわかっちゃう人間だってバレたらもーすぐ付きまとってくるの! 幽霊との交流なんて非生産的以外何物でもないわけ。だからメンドくさくて、ヤツらにバレたらすぐにそこ辞めないといけないから……悩んでるんだけどさ。こんなんじゃいけないって」
「……珍しい悩み事だよね……」
 瑞希の笑顔は引きつっている。
 ふん、どうせ、誰にもわかってもらえないよ、こんな悩み。うう、泣きたくなってきた……。
「とにかく恋しなよ恋! カレシいないんだっけ? 好きな人は?」
「恋……恋くらいしてます、してます〜う」
「え? マジ!? どんな人?」
 アルコールのせいで朦朧とする頭で5秒考えた。
「……27歳のぉ、千葉真一似の人」
 瑞希の笑顔がなぜか凍りついた。
「27歳で…………し、渋さ全開な人っぽいね」
「そーなの! その渋さたまんねえって感じなの! これがいわゆる萌えってやつかしら!」
 興奮する私を瑞希が冷たい目で見つめているが、まあいいや。
「そういう瑞希はどうなの?」
 話を振ると、瑞希はその言葉待っておりましたと言わんばかりに瞳を輝かせ、気持ち悪いほどニヤニヤし出した。
「え〜、えへへへ。実はぁ、今日はそれを伝えたくて連絡したんだけど」
「……な、なに? もしかして、」
 瑞希はニヤニヤしながら、ちっちゃいハンドバックから紺色の「例の箱」を取り出し、ぱかっと蓋を開けた。
 ま、眩しい! と思わず太陽光に苦しむ吸血鬼のような心境になるほどそれは神々しかった。羨望の意味で。
 見るからに、それはエンゲージリング……この世の全ての女性が憧れ、それを巡って血で血を争う闘争の歴史が繰り返されたという伝説のアーティファクト……! あ、今私酔っ払ってますよ。
 瑞希は心から幸せな笑顔でその綺麗なリングを見つめている。
「1年前から派遣で雇われてる会社の社長さんの息子がね、カレシなんだけど、カレシはその会社で働いてるわけじゃなくて、たまたまお父さんに用事があって会社に顔を出しに来た時に出会って、一目でビビビってきちゃったの! すごいでしょ!? こんなことほんとにあるんだって最初は信じられなかったけど、一週間後にカレシが告白してきて、聞いたら彼も同じこと感じたんだって! すごくない!? で、あれよという間に結婚しよっかってことにまでなっちゃって……」
「へえ〜、すごいね! おめでとう!!」
 もちろんおめでとうという気持ちは本物だったけど、心の隅ではほんのちょっぴり、「畜生! またお先に失礼されちゃったぜ!」と地団駄踏んでましたけど。
 リングにはとても綺麗な石がついている。たぶんダイヤモンドだろう。かなり高そうなシロモノ。さすが社長の息子……てか、うらやまし過ぎて眩暈が……。

 と、思ったんだけど、どうも、違うような……。

 完全に、「嫌な予感」じゃないかコレは……?

 でも今酔っ払ってるし、判断力鈍りまくってるし、瑞希の幸せに水を差すようなマネ絶対にしたくないし……そうだ、気のせいということにしておこう! 無害な人には無害なもんだから……。

 というわけで、その後さらにぐでぐでに酔っ払った私は、瑞希に肩を貸してもらいながら店を出た。
「結婚式呼ぶから、絶対に来てね!」
 去り際、そう言いながら手を振る瑞希の笑顔は本当に幸福そうで、私もなんだかうれしくなった。

 

 

 

 

 

 瑞希はいつものように、ベッド際のサイドボードの上に恭しく置かれた紺色の小さな箱を手に取って、中に収められた美しい指輪を飽きることなく数分眺めた。
 嬉しくて、顔がにやけるのを抑えられない。興奮してこの1週間ほどあまりよく眠れておらず、疲れが溜まっていると感じるが、そんな肉体の不調など、込み上げる喜びによって打ち消されてしまう。
 どうせ会社に行くのもあと1ヶ月足らず。その後は、結婚式の打ち合わせをしたり、義父が買ってくれるという一戸建ての新居を彼と二人で物色したり、新婚旅行はどこにしようかとか、子供をいつ作るかとか、楽しいことがたくさん待っている……。疲れてる余裕なんてない。
「どうしよ……こんなに幸せでいいのかな……」
 呟いた時、指輪に嵌ったダイヤモンドがきらりと瞬いた。まるで、幸せでいいのだと肯定してくれたみたい……瑞希は浮かれてそう思った。
 ――不意に驚くほどの睡魔に襲われた。
 一瞬息を飲んだが、それ以上は瞼を開いていることも困難で、瑞希は最後の力で箱の蓋を閉じ、そうして深い眠りにおちた。

 眠っている。だから、視界がこんなにも、闇。
 夢の中で、これは夢なんだ、などと思うことなど一度もなかった。けれど、今は「夢をみている」としか思えない。
 徐々にクリアになっていく視界。瑞希は今自分の部屋の光景を目にしている。眠りにおちる前と無論寸分違わない、自分の部屋。目を覚ましてしまったかと思ったが、違うようだった。
 何かがおかしいと感じる。何か、異常なまでの違和感がある。
 まずは左手の薬指だった。いつの間にか、瑞希はあの指輪を嵌めていた。やっぱり夢だと確信する。瑞希は指輪を貰った時に一度だけ、彼に指輪を嵌めた姿を見せたが、それ以来は一度も嵌めていない。式の当日まで大事にしまっておこうと決めていたのだ。
 瑞希は慌てて指輪を外そうとした。戒めを破ってしまうと、良くないと感じたからだ。
 しかし――手が動かない。それどころか、腕も、足も、胴も、首も顔の筋肉も。
 金縛りだ。
 それに、これ、夢じゃない?
 そう思った途端に恐怖に苛まれ、じわりと嫌な汗が滲んだ。
 

 ぐじゅぐじゅじゅううううううう

 ――何?

 ばぎゅあ、じゅぶうううああ、ごおああ、ぐぐぐぐ

「何……よ……」
 声を出せたのが不思議だったが、しかしその声があまりにか細くて、瑞希は余計に不安になる。
 どうしよう、何か、この部屋の中に、良くないモノがいる。

 いる。

「わたし、不幸だわ」

 隣に、誰かが寄り添うように寝ていた。
 あまりに突然、ぱっと現れたように感じた故か、驚愕する間も与えてもらえなかったのがかえって幸運だったかもしれない。
 それはおそらく女だ。目を見開き、ぐっと力を込めてそちらを注視しなければ視界に入らないほどだが、華奢な肩口や、そこに伝う艶やかな長髪は確かに女性のものだ。
「わたし、幸せになるはずだったのに」
 女が掠れた声で呟いている。静かな口調なのに、心臓が押し潰されそうなほどの「怨念」が籠もっている。
 手足が痺れて、冷たくなっていく。

 ぐわあああ、ぎぃぎゃああ、べちゃ、べちゃ、べちゃあ

 部屋の中央に、蠢くものがあった。

 立ち竦み、しかし小刻みに震え、苦しそうに呻いている。何かを吐いている。その吐しゃ物が床にぼたぼたと落ちる時に、奇怪な音がこだまするのだ。
「あなたもそうなればいいのに」

 ――嫌だ、そんなの、嫌…………!

 腐敗したなにかと、血の匂い。それに加えて、最も鼻を突く鋭い薬品臭。

 女が上体を起こし、瑞希を振り返った。

「――ひ、や、いやああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 叫び声を制しようとするかのように、女が瑞希の口に何かを無造作に突っ込んだ。
 体験したことのない苦痛に涙が零れ、脳の奥でブチブチ神経が弾け切れるのを感じた。
 ――熱い、焼ける、焼ける、喉が、身体が、私の、命が、
 精神と肉体が総動員して、地獄のような苦痛から逃れるべく全てをシャットダウンした。

 

 

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