>水際の少年

 私はちょっとロマンチックな部分があると自負しているが、例えばバイトの先輩で24歳・サム・ニール似の
ナイスガイに勇気を出して告白したところ、
「……サイ子ちゃんってさあ、ちょっと変わってるよね。オバケとかよく見るんでしょ? 俺そういうのニガテなんだよねえ。
尾崎が、サイ子ちゃんと一緒にいると変なことに巻き込まれるとか言ってたし。たぶん俺ら上手くやってけないと思うんだ。
ごめんね〜。まあ今回のことはなかったことにして、これからもバイト仲間としてヨロシクしてよ」
 ……などとデリカシーのかけらもないセリフで見事にフラれ、あまりの怒りと悲しみにコンビニで買ったカップ酒を
3杯空にし、夜の河川敷を一人でブラブラしながら泣きじゃくって座り込んで地面に「バカバカ男なんてバカばっか」と
ラクガキして小石を河に向かって投げて雑草を毟ってまた泣いて「尾崎殺す!」と叫んだりしてるうちに
あやうく夜が明けそうになった、などとドラマチックなことをしたりする。
 尾崎の話ってのはたぶん、数週間前バイトあがりにみんなで立ち寄ったファミレスでの晩ゴハンの後、
帰宅ルートがほぼ同じなバイトの後輩尾崎君(20歳)と、まあ別々に帰るのもなんなので一緒に歩いていたら、
踏み切りの前に辿り着き、ぼーっとしてると、背後から走ってきたOL風の女の人が、遮断機が下りて
カンカン警報が鳴っているにも関わらずすごい勢いで踏み切りの真ん中に飛び込んでいってもちろんそのまま
ガアーっと電車に撥ねられてしまったのを見て思わず「わあ!生自殺見ちゃった!!」と叫んでしまったことだろう。
 叫んでからすぐ、しまった、と思った。 
 この至近距離で人間の身体が跳ね飛ばされたにも関わらず血肉は飛び散ってきてないし、隣に立っている
尾崎君を恐る恐る見ると、彼は私を「ハア? 何言っちゃってんの?」という顔で見つめている。 
 ボケーッとしてて判断できなかったのが災いした。今のは、幽霊の仕業だ。幽霊の残留思念がただひたすら
繰り返している死の間際のビジョンだ。もちろんそれを見ることが出来るのは私だけ。
 尾崎君は、
「……そういえば、先週、ここでOLが飛び込みやったって聞いた」
 と、唇を震わせて言った。
「……サイ子さん、見たの?」
「……み、見てないよ」
「……うそつけ」
「……」
 ―ということがあったのだ。
 それ以来、たぶんバイトの連中は影で私のことを「幽霊を見ちゃう変な女」と罵っていたに違いない。
 ああ、学生時代は「幽霊見ちゃう」って言ったら一躍人気者だったのが社会に出てから同じように「幽霊見ちゃう」って
言ったらかなりヒかれるオトナとしての常識の壁にぶち当たって以来、がんばって隠していたのに……そのせいでサムにも
フラれ……最悪……くそ、今度バイトに行ったらすぐに「実は、尾崎君のロッカーの前って、いつも中年のおっさんの霊が
立ってて、尾崎君がロッカー使う度にメイワクそうな顔してるよ」ということをバラしてやろう。
 ケータイで時計を確認すると、もう午前4時過ぎ、独りよがりドラマチックタイムを続行するにはもう酔いも覚めてたし、
疲れたし、眠いし、化粧もドロドロで気持ち悪いし、全てが馬鹿馬鹿しくて、私はのろのろと立ち上がって帰ろうと思った。
 ―が、
 動けない。
 なんでだろう?
 見ると、

 誰かが、私の両の足首をがっちりと掴んでいた。

 変質者!?と思ったが、手首の先から身体がないので、こりゃ幽霊だと確信。ああ、めんどくさい。
ねえ……」
 手首だけのオバケなのに、声を発する。
いかないで……ここにいてよ……」
 無理やりガラガラ声を出していることがみえみえな幽霊を、ハッ、と鼻で笑い、足をじたばたさせる。
 私がきゃあきゃあ言って怖がらないのに拍子抜けしたのか、幽霊は少し力を緩める。でもまだ離してはくれない。
「……ね、ちょっと、悪いけど私疲れてるから。離してくれない?」
「……ああ
 気の抜けた声を出して、手だけの幽霊は私を解放した。
「…………」
「…………」
 手首が消えて、次の行動に移る気もなさそうだったので、私はそのまま歩き始める。
「ねえ、ちょっと」
 フツウの調子の声音で、背後から声をかけられる。
 仕方なく振り返ると、そこには、
「おお……」
 思わず感嘆の声を上げてしまうような、かっこいい男の子が立っていた。年齢は20〜23の間くらい、
上下揃いのアディダス黒ジャージ姿。髪も黒くてマジメそうな顔つきが好感度大な美青年。
 でも、よくよく目を凝らすとビミョーに身体が透けていて、ああやっぱり幽霊かあ、つまんないの〜とか思う。
「あの、な、なんで、ビビらないの?」
「……慣れてるから」
「慣れてる……?」
「私、生まれてこの方、生きている人間よりも死んでいる人間とコミュニケーションとってる時間が長い人なの。
変人なの。だからあなたくらいの大した害にはならなそうな幽霊とか、別にどうでもいいの。じゃ」
「ちょ、ちょっとまって、待って!!」
 物凄くフツーなカンジの幽霊は慌てて私を呼び止める。
「なんですか?」
「……あの、もう、なんでもいいです。とりあえず、僕のこと認識できるなら、ちょっとの時間でいいから、
話し相手になってくれない?」
 なにこれ。幽霊にナンパされてるの私?
 ……馬鹿馬鹿しい展開。……でも、まあ、幽霊なら生身の人間よりよっぽど効果的な対処法知ってるし、
いざとなったらなんとかなりそうだし、何よりかっこいいし、ま、たまには幽霊相手にお話しするのもいいか。
「いいよ。話し相手くらいなら」
「……本当!?」
 幽霊君は心底嬉しそうな笑顔を見せる。ああ、これが生身の人間だったら、こちらこそもっと嬉しいんだけど。
 ―青年はハヤトと名乗る。なんだか速そうな名前といい恰好といい、アレだなあと思っていたらやっぱりスポーツマンだった。
大学の陸上部に所属していたという。数ヶ月前、雨の日に日課のジョギング中足を滑らせ河川敷からすっころび落ちて
打ち所が悪くあっけなく死んでしまったと。情けないやらかわいそうやらもったいない話。
「あなたはでも、地縛霊ってかんじじゃないね」
「ジバクレイ?」
「名前くらい聞いたことない? 生前遣り残したことがあったせいで、いつまでも成仏できずに死んだ場所に縛られる霊のこと。
生前より更に意思が弱くなってるから、大抵はすぐに発狂して呪縛霊になるんだけど」
「……ジュバクレイ?」
「……呪いに縛られた霊ってこと。地縛霊の状態なら無害なんだけど、呪縛霊にまでなっちゃったら、生きている人にまで
害を及ぼすようになる。まあ、地縛の段階でも死に囚われた魂が生者の世界に残ってるってだけで不健全だから、
直接的な害はなくてもその場所はよくない空気が漂うようになるんだけどね」
 ハヤトはさっぱりわかんねえってかおをしているが、まあ理解してもらわなくても結構。
「確かに変わってるねサイ子さん」
「まあね」
「でもおもしろい」
「そう」
 かっこいい男の子におもしろいといわれても、女の子はあんまり嬉しくないんだけど。
「……で、あなたの魂は、まだ地縛の段階にも入ってない感じがするわけ。つまり全く人畜無害な無垢な魂ってこと。
生前遣り残したことがないのになんかビミョーに成仏する気分じゃないな〜って思ってただ残ってる変な幽霊だね」
「そうなのか……遣り残したことは……まあないとこもないんだけど……それに成仏する方法がわかんないし」
「ああ、最近そういう霊多いみたい。みんな昔みたいに信心深くなくなったから、神とか仏とかの存在に無関心になっちゃって、
そのせいで向こうからのお迎えに対する感覚も掴めないことがあるみたいね」
「お迎え?」
「パターンは人それぞれみたいだけど、要は心の持ち方の問題で、死んだらきっと明るい光に包まれるとか、唐突に
花畑や三途の川が見えるとか、キレイな女の人たちが手をひいてくれるとか、もしくは生前罪を犯した呵責を持つ人間は、
そのまままっすぐ奈落に突き落とされるんだろうって考える、と……大体その通りになるみたい。でも最近の人って、
自分がいつか必ず死ぬってことに鈍感だから、死後の想像が出来てないの。そういう人は地縛霊にもならないで
ただフラフラ現世を彷徨い続ける」
「え……じゃ僕、このまま永遠に……幽霊のまま生き続けるってこと?」
「生きてないけど、まあずっとそのままでしょうね」
 衝撃だったのか、ハヤトは顔を強張らせて押し黙ってしまう。幽霊を傷つけてしまった。私ってよくこーなる。
事実を述べたまでなんだけど、まあ、事実を述べることだけが正しいわけじゃないし。人間にしろ幽霊にしろ
傷つけるのはよくないし。ってマジメに考えてしまったり。
「……いやいや。大丈夫よ。ハヤト君はちゃんと成仏できるから」
「……えっ、ホント?」
「私に声をかけたのがラッキーだったね」
 私はそう言ってにっこり笑う。ハヤトは不可解な表情をしつつ少し元気になった。よかった。
「ほんとに成仏したい?」
「う、うん……まあ」
「成仏したら、もうハヤト君って存在は消えてなくなるよ。
 そりゃ幽霊だからもう生きてる人の誰ともコミュニケーションとることは出来ないけど、ハヤト君が望むなら幽霊のままでも
存在し続けて、家族とか、トモダチとか、好きな人とかのこと見守り続けることは出来るけど。
 でも成仏したら、もうハヤト君の存在は、生前知り合った人の思い出だけになっちゃう。覚えてくれてる人は生きるとしても、
ハヤト君はもうその人たちのことはキレイさっぱり忘れてしまう」
「……ああ、そうか……」
 ハヤトはしばらく考え込む、そして口を開いた。
「母さんは……ウチ、僕が小さい時親が離婚して、ずっと母さんと二人暮しで、それなのに僕が間抜けな事故で死んじゃって、
自分の葬式を見に行ったんだけど、も、スゴかった、母さん、めちゃめちゃ取り乱して、狂ったみたいに泣き喚いて、
知らない人たちに押さえつけられてた。それ振り切って僕の身体が入ったお棺に飛びついて、
その拍子に僕がお棺から飛び出して、自分の真っ青な顔見てビビったな、そんな気色悪い僕にすがり付いて
母さん泣き喚いて……なんか見てられなくなって、ここまで逃げてきた。それ以来家に近づいてない。行ってもきっと、
母さんが悲しんでる姿を見ることしか出来ないし、僕は大丈夫だよって母さんに言ってあげることも出来ないし。
 ……だからずっとここにいたんだ。ヒマでしょうがなかったけど、ツラいとはカンジなかった。幽霊だからかな? 
時間の感覚ももうなんもないし。……で、少し前から、この河川敷にほとんど毎日来る女の子のことが気になり出して。
 セーラー服着て、高校生っぽいのに、学校に行ってる気配もないし、でも不良ってカンジじゃないし、なんだろうな、って
ずっと眺めてるうちに……その子のこと、好きになってる気分になったんだ」
 することがないのに現世に留まってる幽霊が生きてる人を好きになることはありえない話じゃ全くないけど、
結局その相手に気持ちを伝える方法がなくて、想いだけが積もって苦しくなって精神が悪い方向へ行って、
結果悪霊になってしまって、強い想念のおかげで相手に存在を知らせることは出来るようになるけど、それは生者にとって
悪意以外の行為にはならない。ハヤトも、そうなってしまうのだろうか。―でも、
「でも、ある日から、女の子は話し相手を見つけた。真っ赤な服を着た、彼女よりずっと年上の男で、
でもその男が隣にいるときは、彼女の顔が優しくなるんだ。会話を聞くようなことは絶対しなかったけど、
でも、いつも一人でいた時はまるで死んでるみたいな顔だったのに、男が側にいるときは生きてるかんじがした。
それで、ああ、よかったなって、思った」
 ハヤトはきっと純粋な人だ。だから幽霊になっても死の概念を受け入れられない間抜けな部分もあるけど、
こうして自我を保ったまま地縛されることもなくいられるのだろう。
「ハヤトはその女の子のことが今も好き?」
 ハヤトは静かに首を振る。
「いや、別に……好きだとおもったのは一時の感情だと思う。あんまりにもすることがなかったから」
 と、冗談を言って少し寂しそうに笑い。
「けどその子がそれ以来あんまりここに来なくなったことで、ちょっと寂しく感じたかな。だから妙に人恋しくなって、
誰でもいいから僕の存在を知ってもらいたくなって、いろんな人に触れようとしたけど、全然ダメだった。ムカついて、
怖がらせてやろうとも思ってやってみたけど、やっぱダメで。だからすぐ諦めたけど」
「あなたは悪い霊じゃないもの。怖がらすのはムリよ」
「そうなんだ。まあ、悪い霊にはなりたくないけど」
「……成仏する?」
 ハヤトは答えない。
「……ハヤト君」
「……また少し、心残りが出来そうで」
「?」
「成仏してもいいけど……」
 私はハヤトの次の言葉を待った。
「―サイ子さんの足を掴んだのはなんでだと思う?」
 突然話の方向が変わったので、私は少し考えた。
「……う〜ん? 自暴自棄になってるとこに、酔っ払いの変な女が来たから、脅かしてやろうと思った?」
 ハヤトは少し笑う。
「まあ……そんな気分でもあったけどさ」
「他に理由ある?」
「うん、たださ、変な人だなあとは思ったけど……どうしても気付いてほしくなったんだ。サイ子さん、綺麗だったから」
 私は少しビックリする。ワンカップ酒アオって叫んで泣いて「尾崎殺す!」とか言ってたそんな私がキレイですって。
 ……まあ、全然悪い気はしないけど。
 ビミョーな理由だけど……嬉しい言葉だと思った。
「なんか恥ずかしいわ」
「事実だよ」
 変な沈黙が訪れる。
 が、ハヤトがすぐに口を開いた。
「成仏するよ」
「……そう」
 ハヤトの気分が変わらないうちに、私はすぐ立ち上がった。幽霊は、成仏するのがそりゃ一番最良な道なわけだ。
「別に大したことはしないから身構えることはないよ。私は、道しるべを見せてあげるだけだから」
 目を閉じて、とハヤトに告げる。ハヤトは素直に従う。
 ―光が見える?
 見える?
 見えたら、
 それに近づいて。
 温かく感じたら、
 それで、大丈夫。
 なにも心配いらないから、
 ただ、身を委ねればいいから―

 

 

 

 ―もちろん、その後サムとの関係はぎこちなく、尾崎はロッカーに怯えるようになり、私はたまにハヤトのことを考えつつ、
他の幽霊にちょっかいをかけられつつ、日々が過ぎる。
「バイト辞めようかなあ」
 と、呟くが、他にいいとこも見つからないし、しばらくはまだあそこに居座り続けるしかない。
 雨の日はユウウツ。
 私は河川敷を歩いて、ほんの少しハヤトのことを思い出す。
 その道に佇むのは、私の黄色の傘と、少し距離を置いて、黒い傘と赤い傘。
 黒い傘は若い男の子、赤い傘は彼より少し年上に見える男の人。
 黒い傘の少年が、赤い傘の人に背を向け、こちらに向かって歩いてくる。途中少し振り返る。また歩き出す。
 少女のような顔をした少年だった。
 私も歩き出す。赤い傘の人が前をゆっくり歩いている。
 その傘から伸びる足は4本。
 一人は生きていない。
 白いワンピースを着た素足。
 ……守護霊ってわけでもない、悪霊ってわけでもない霊だけど、あんなふうにずっと寄り添っていられたら、
きっとあの男の人の精神になんらかの悪影響を及ぼすだろうと、思った。
 でも、それをなんとかしてあげたいと思うほどに世話好きな性格ではない私。
 なんとかしてあげたいと思うときもたまにはある。
 生き方ってそういうこと。
 関わりたいことと、関わりたくないことが折り重なって出来る時間の流れ。
 ふと河の方に目をやると、水辺に幼い男の子が立っていた。
 私を見ていた。
 ―でも私は関わらないことにした。